作品の閲覧

エッセイ・コラム 日常生活雑感

老猫の死 -そして「真のネコキチ」とは?

浜田 道雄

 夏の末、チーコが死んだ。十八歳だった。この夏の記録破りの暑さが老チーコには酷過ぎたのだろうか。八月半ばから急に痩せてしまい、骨と皮ばかりになって、最後には食欲もなくなった。家内はチーコを膝に抱きあげて、栄養剤とミネラルウオーターを朝に晩にスポイトで喉に流し込んでやり、体力回復を図ったが、そんな看病の甲斐もなく、八月末のある朝、チーコは寝所にしている箱のなかでタオルにくるまったまま冷たくなっていた。

 十八年前の夏のはじめ、ミーコが我が家に居付いてから数日後のある朝、歩くのもままならないような、未熟児の子猫がヨタヨタと家に入ってきて、ミーコの飯碗に顔を突っ込み、ガツガツと食べ始めた。それがチーコとの出会いだった。
 自分もまた虚弱児だったという家内は、そんなチーコに同情してすぐに家に入れると、「牛乳だ! マグロだ!」と世話を始めた。弱々しかったが、食欲は旺盛だったから、チーコはまもなく元気になり、別に医者にかかることもなく、我が家の有力な一員として、ミーコと姉妹のように暮らし始めた。

 チーコは頭のいい猫で、人とおしゃべりするのが得意だった。近所でも可愛がられ、ネコ好きおばさんたちを訪ねては、世間話をして歩いた。おばさんたちも「チーちゃんは面白いおはなし、してくれるもんね」と喜び、美味しいものを用意しては、チーコの訪問を待っていた。

 私たちは、居間のチークの椅子に義母の彫った十一面観音と地蔵尊をまつり、チーコを弔った。チーコの死を知ったネコ好きおばさんたちはすぐに喪服に正装し、弔問に来てくれた。ある人は腕いっぱいに花を抱え、ある人は自分でプリントした額面金二百万円の紙銭と、やはり自分で描いたカツオとブリの絵を供えて、まるで自分の姪が亡くなったかのように、頬ずりして悲しんだ。
 「チーちゃんはあんなにしょっちゅう来て、お話をしてくれたのに・・・」と。聞けば、死ぬ二、三日前チーコはヨタヨタと歩きながら、それぞれの家に顔を出したという。「あれは、チーちゃんが最後の挨拶に来てくれたんだね」。おばさんたちはまた涙する。

 私たちは、「チーコが死んだら庭に墓を作ってやろう。そうすればいつも私たちの身近にいられるからね」と話し合っていたが、それはできなかった。ネコ好きおばさんたちは「近くの動物霊園で葬式と火葬をしてくれるから、是非そこに頼め」と主張するのだ。
 これに異を唱えたら、私たちは村八分にされかねない。諦めた私たちは、即日その霊園を訪ね、テープの唱える般若心経で荘厳に葬儀を行なってもらい、火葬して小さな骨壷に納まったチーコを抱いて、帰ってきた。

 だが、このはなしはまだ終にはならない。数日後、熱海にいるもう一人のネコキチおばさんから弔問の手紙が届いた。
 「チーちゃんが他界したとのお知らせをいただき、心からお悔やみ申し上げます・・・・。
 みなさまも、ご傷心あまりご体調を崩されませんよう、ご自愛ください」
 さいわい、私も家内もまだ「ご体調」は崩していないが、ミーコの情緒不安定は続いている。チーコが死んでから私たちの側を離れたがらなくなり、姿が見えないと必死になって探す。夜、庭に出ては「ニャウオーン、ウオーン ウオーン」と遠鳴きする。
 そんな時、「あれはチーコを呼んでいるんだよ。『チーコ! どこへ行っちゃったの!帰っておいで!』って呼びかけているんだよ」というと、家内も粛然として「十八年も一緒だったんだもんね」という。

 私たちもともに暮らして半世紀。いつかはわからないが、いずれはどちらかが先に逝く。そんな日、残った方はが、ミーコのように遠鳴きして、「帰っておいで」と呼びかけるんだろうか。
 ミーコの叫びを聞くたびに、そんな想念(おもい)にとらわれる。

(2010・11・22)

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧