作品の閲覧

エッセイ・コラム 体験記・紀行文

枯草のざわめき:「日展」に通う

濱田 優(ゆたか)

 ここ20年ほど、毎年秋になると日展(日本美術展覧会)を見に行く。

 それ以前にも日展を見たことはあるが、続けて通うようになったのは、小学校で同期の三輪敦子(あつこ)さんが、日展で2回特選の受賞を果たしたときからだ。彼女は、東山、杉山とともに日展三山と称される高山辰雄に師事し、いまは評議員で今年は審査員の日本画家である。
 三輪さんの画題は、動きのある若い女性が多く、素人目には洋画と見紛う。彼女の作品の前に立つと、優しい風が立ちのぼるように感じられて、私には好ましい作風だ。今年は「歓びの日」と題し、華やかな赤の衣装が目立つ異国の花嫁の絵だった。作品の力が見る人に伝わり、彼女の充実ぶりがうかがわれる。昨年は、白いレースのカーテンに半身を隠す、青い服の若い女性を描いた「ときめきのとき」だったから続きものなのかな。

 「日展もいいけど、疲れるからね……」
 一緒に行こうと誘った友だちに、そういわれて断わられることがままある。
 たしかに日本画と洋画だけでも千点を越す大作、力作が並び、それに彫刻、美術工芸、書を加えた5部門の総陳列点数は三千におよぶ、とのことだから見るほうも大変だ。その全てをまともに見ようとすれば、1日では無理だろう。だから数時間で見るには、よほど要領よく対象を絞って回らないと、足が棒になるばかりで印象に残るものが少ない。
 ちなみに、この夏開かれた「オルセー美術館展2010」は評判どおり見応えがあったが、作品の数は115点だった。

 私ははじめのうち、せっかく来たのだから全部見てやろうと、愚直に日本画の第1室から見はじめ、小休止やコーヒーブレイクを挟んで洋画まではなんとかがんばった。が、彫刻の途中で閉館時間が迫り、美術工芸と書は駆け足で回るのが精一杯。骨折り損とまではいわないが、美術展を楽しむ境地にはほど遠かった。

 だがそのうち、日展の展示にはだいたいの規則性があることが分かってきた。ガイドブックやホームページには載っていないけれど、日本画と洋画の展示はほぼこんな具合とみて間違いなかろう。
 部門ごとに特選は10点、その作品はたいてい第1室に展示される。さすがは特選と納得できるものがほとんどなのは当然だが、中には、これが特選? と首を傾げる作品も正直ときにある。
 第5室は大御所の部屋。芸術院会員になられた先生方の作品がずらりと飾られる。ここを中心に前後数室に日展の主要メンバーの作品が収まっており、その中から「内閣総理大臣賞」と「日展会員賞」が各1点選ばれる。
 とりあえずこれだけ押さえるだけでも、その年の日展の主だった絵画を容易に見ることができ、人に語るときも、それらの作品にコメントを加えれば恰好が付くというものだ。

 だがしかし、それだけでは何か物足りないと思うようになった。その何かを教えてくれたのは、意外にも私の娘である。
 記憶は定かではないが、たぶん一緒に行く人がいなかったときだろう、当時高校生の娘を誘ったらついて来てくれた。するとなぜか彼女は日展が好きになり、それから大学を卒業までの数年間、娘と一緒に日展に行くのが私の秋の年中行事になった。
 娘と行くときは、はじめの方のいわば必須科目のところは一緒に見るけれど、そのあとはそれぞれ好き勝手に見てその部門の出口で待ち合わせることにする。一人になった私は、足早に会場を回ったり、部屋の中央に飾られている作品を重点的に眺めたりして見巡りを端折った。

 娘はその間、自分の好きな作品を見つけてはピックアップしていたらしい。出口の売店でそれらの作品の絵葉書を選んで求めていた。そうして何年か経つと、彼女のお気に入りに挙げた画家が今年はどんな絵を出すか楽しみになるという。作家のランクなどには関心がないから、まだ常連になっていない作家の絵が次の年に展示されるとは限らないが、しばらく間を置いて再会できたときは、ことのほか嬉しいそうだ。

 それを聞いて私は感心した。美術の観賞者としては娘のほうが上手(うわて)だ。私は、賞とか序列とか、いわば権威にすがって受身の姿勢で見ていた。私とて好きでないものは感心しないというが、積極的に自ら感銘する作品を見つけ出す努力を怠っていた。
 遅ればせながら、私も娘に倣って自分のお気に入りを見つけるようした。が、ことはそう簡単ではない。ものを買うとき品物そのものより先にブランドや価格が気になるのと同じで、つい画家の肩書や評判などの属性に目が行く。それでも、会を重ねているうちに私のお気に入りの画家が何人かでき、日展に通う励みになった。

 「文展」からはじまる「日展」100年の流れのなかでも、日展が長い間会場としていた上野の都美術館から、2007年に六本木の新国立美術館に拠点を移したことは画期的なことといえよう。新しい会場はゆったりとして閲覧しやすく、付帯施設も充実している。建屋は黒川紀章の手になる曲線を駆使したモダンなガラスの館。周囲の樹木との調和がとれた外観もいいが、美術観賞の途中足休めに寄るカフェで、ガラスのカーテンウォール越しに眺める外景も好きだ。

 伝統を重んじながら進化を続ける日展に新陳代謝は必要不可欠である、とはいえ、長年出品を続けた大家が没するのはやはり寂しい。今年は特に洋画部門で喪章が付けられた作品が目に付いた。肩書には「参与」とか「顧問」と記されている方が多い。日展の役職定年である80歳を過ぎた長老である。
 総じて画家の現役寿命は長く、サラリーマンが定年退職になるころから、画業は佳境にはいる人が多いようだ。
 とすると我が友、三輪さんはまだ上昇階段の途中。卒サラで黄昏どきのわが身に較べ、偉いものだと羨望のまなざしを向ける一方、草臥れないかと同情の気持も湧く。彼女の才能と努力に目をふさぎ、自分の非才と怠惰を棚に上げる、愚者の感慨は取りとめもない。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧