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エッセイ・コラム シネマ・サロン

映画は古いものほど面白い

田谷 英浩

一年前、今年は旧作の再見ばかりになりそうだと書いたが、2010年はまさにそうなった。
邦・洋画合わせて見た58本の内、新作はわずかに18本。残りすべては旧作、これまで見逃していた作品と黒澤明の「天国と地獄」(1963年)のように、何回見ても厭きない名作たちだ。
この黒澤作品を繰り返し見ては、やはりこの車内シーンを凌ぐ緊迫感のある映画は他に無いなあ、と独り決めしている。
もう一つは「にっぽん泥棒物語」(1965年・山本薩夫)。いまだにこの二作品が邦画のベストだと思っている。
加えて昨年は、日本映画全盛期を支えてきた役者たちの物故者も多く、その追悼番組や有名監督の生誕もしくは没後の企画に眼が向いた。
従い新文芸座や早稲田松竹、シネパトス、NFC、神保町シアターといった名画座系へ足を運ぶことが多くなる。
さらに加えて、「なんど見てもすごい50本、午前十時の映画祭」が二月から全国ではじまった。往年の洋画の傑作が週替わりで上映されるとあって人気は上々。「第三の男」などは早朝、劇場の窓口で入場を断られた。インターネットの予約で売り切れなのだという。
名画を大スクリーンでもう一度見ようとする往年の映画ファンと半世紀も前に作られた評判作に好奇心一杯の若い観客が詰めかけ、どこも混雑していた。
こちらも50本の中から10本を選んだものの、実現できたのは半分。その中で、スクリーンで見るヒッチコック「裏窓」(1954年)はやはり格別だ。いまだに洋画のベストワンはこれだと思っている。まさに完璧、非の打ち所がなく、半世紀も前に作られたとはとても信じられない。

ところで半世紀前、この映画を見た自分はどんな感想を残しているか。14歳から書き始めた映画ノートを恐る恐るめくってみるとこう書いてある。「アメリカのアパートの立派なのには驚いた」。今ならマンハッタン裏通りの三流アパートにしか見えない舞台なのだが、戦後まだ10年、日本の汚い裏長屋しか知らなかった自分には余程新鮮に写ったのだろう。こうも書いてある。「グレース・ケリーという女優は清潔な魅力がある。甘ったれた接吻シーンが印象的」と。当時17歳、刺激的であったようだ。
そして評点は「スリラーとして傑作。95点」(1955.5.1)。
55年も前の自分の文章を読むのは照れ臭いが、記録としては貴重だと思い込んでいる。

さて昨年見た新作、評価する対象が少なすぎるが、中で印象に残るものは、
アイガー北壁 08 独・オーストリア・スイス合作
インビクタス 負けざる者たち09 米 クリント・イーストウッド
終着駅 トルストイ最後の旅 09独・露
武士の家計簿 10 松竹
の4作品となる。

昨年末、高峰秀子さんが亡くなった。代表作を「二十四の瞳」と「浮雲」にすることに異論はないが、好きな作品となると別。
成瀬巳喜男監督の「女が階段を上る時」(1960年)と「乱れる」(1964年)が気に入っている。前者は銀座の二、三流バーの雰囲気が絶妙だし、後年頻繁に銀山温泉へ行ったのは「乱れる」に相当影響を受けている。長く未亡人だった高峰秀子演じる女性が“私も女よ”と年下の男を誘うあの低音は未だに耳から離れない。残るは原節子さん。今年も名画座系は追悼番組花盛りの予感がする。

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