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エッセイ・コラム 政治・経済・社会

『ホームレス歌人のいた冬』

田谷 英浩

 毎週月曜日の朝日新聞朝刊に朝日歌壇が掲載される。新聞歌壇の中でも特にレベルが高いとされる朝日には、毎週四千首ちかい作品の投稿があるという。
 選者は四人で、掲載されるのは四十首。複数の選者に選ばれた作品には☆が付く。だから採用率は一%くらい。
 二〇〇八年十二月、この超難関をパスして、毎週のように掲載される作者が彗星の如く現れた。不況が深刻化し年越しテント村が日比谷公園に登場した頃である。 そんな時に掲載作品の(居住地)に(ホームレス)投稿者名に公田耕一なる人物が登場した。
 俳句も川柳も短歌も、作ることは苦手だが興味はあるので、朝日俳壇も歌壇も見てはいた。だから(居住地)がホームレスとある公田耕一さんの登場を知っていた。(仙台市)某、(静岡市)某とするより、(ホームレス)とするほうが選者の気を惹くのは間違いなかろう。選者がそれに影響されたかどうかは知る由もないが、以後熱心に歌壇の中にこの人の名を探すようになったのは事実である。
 作品は、いまそこに居なければとても作れそうにないリアリテイに富んだものに思え、とてもじゃないが、そのふりをして作っているとは思えなかった。しかもこの人はかなりの高学歴、インテリのようで、元は大学教授か大会社の幹部社員であったのかも知れない。そんな思いを抱かせる人物であった。
 「であった」としたのは読者の注目を集め、マスコミが追い駆けたのだが、結局消息を掴めぬまま、ご本人は九ヶ月で二十八首採用という信じ難い快挙をなしとげた後、突然姿を消してしまった。江戸時代の謎の絵師写楽を彷彿させるとまで言わしめたのである。
 標題はこのホームレス歌人の消息を求めて、横浜寿町のドヤ街に入り込んだノンフイクション作品である。追えども、探せどもあと一歩届かない。犯人追跡劇を見るようなスリルに充ちた展開である。著者の三山喬氏も東大、朝日新聞社というエリートコースを歩みながら、ホームレス寸前まで行ったそうで、だから非常な説得力を持つ。公田耕一作品を三つ。

パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる

哀しきは寿町という地名長者町さへ隣にはあり

胸を病み医療保護受けドヤ街の柩のような一室に居る

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