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エッセイ・コラム 日常生活雑感

時代が若者を鍛える

大平 忠

 最近ときどき耳にするのは、若者が少し変わってきたのではないかという話である。
 東北大震災後のボランティアに、多くの若者が参加した。茶髪、ピアスの若者たちも数多くいたという。阪神大震災のときがボランティア時代の幕開けといわれた。しかし、それ以後の若者については、車も欲しがらなくなり外国にも行きたくないという、醒めた声の小さい草食系動物というイメージを持っていた。
 先日、NHKのニュースを見ていて少し驚いた。若者たちに対して、大震災後何を感じ何を考えているかといったようなインタヴューだった。
 「毎日の当り前の生活が意味あるものに感じられる」「何か人のためにしなければ」「国はやはりしっかりしないと」「家族とか周囲の人との絆を意識する」 このような内容だったと思う。そういえば、新聞に「この頃電車に乗ると席を譲ってくれる頻度が増えた」という記事も載っていた。優しさが増してきたのだろうか。
 確かに、国、地域、家族、絆、助け合い、自己犠牲といった言葉が出てくるようになった。「これを機会に、物から心の時代へ」「日本の伝統へ戻ろう」という声も大きくなった。以前から言われてはいたが、言葉に真剣味が出てきたような気がする。
 今度の大震災は若者たちに大きなショックを与えた。立ち止まって、自分を見直そうとしているのだろうか。日本という国が傾き、前途に高いハードルが現れたことを見つめているのだろうか。
 人を鍛えるのは「時代」だという。日本は、バブル崩壊後も下り坂ではあったが、毎日は安穏に見えた。見えただけなのだが。いまや安穏に見えた時代は終わり、問題山積の時代がきたと誰もが思っている。
 若者にとっては、経済は停滞し雇用はますます狭くなろう。介護の仕事はあっても賃金は安い。海外へ進出する企業は現地で採用する。若者たちは、千尋の谷とはいわないが、試練を乗り越えないといけない。
 レイモンド・チャンドラーは、探偵フィリップ・マーロウに呟かせる。「男はタフでなくては生きていけない。しかし、優しくなければ生きている資格はない」。我が母校の中学は「挑戦し、創造し、貢献する生き方をせよ」と教える。
 家傾いて逞しい孝子出ずることを祈ろう。

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