体験記・紀行文
モンサンミッシェル詣で
もう四十年前の話であるが、偶然モンサンミッシェル詣でをする機会があった。業務でパリに出張したが、金曜日と翌週の月曜日に仕事があり、土日を過ごす羽目になった。現地事務所の知人に適当な過ごし方はないものか問い合わせたところ、一泊二日のノルマンディー地方めぐりのバスツアーを紹介された。午前七時にバスはバスティーユ広場を出発した。乗客は筆者の他は初老のアメリカ人男性、美人でUCLAのバークレー校に留学中のスエーデン女性、小柄で無口のアメリカ人女性、そしてなぜかほとんど英語を話せぬスペイン人の中年女性二人の合計六人である。アメリカ人用のバスツアーで運転手の観光案内はすべて英語であった。
セーヌ川沿いにバスはドーヴァー海峡に向かってひた走る。最初立ち寄ったのはルーアンであった。朝日に輝く大聖堂には圧倒的な存在感がある。近くのパン屋で菓子パンとミルクの朝食をとった。その後もバスは名所旧跡とおぼしき所に停まり、運転手のややたどたどしい英語の説明を聞いた。奇蹟の行われた教会や修道院などである。そして第一日目の最後の訪問地はバイユーであった。第二次大戦の激戦地で、アメリカ映画「The Longest Day 」の舞台である。ただ一帯は整備されて美しい芝生となり、小さな戦争博物館以外当時をしのばせるものはない。何か拍子抜けした感じであった。
その夜は近くのモーテル泊まりであった。夕食が終ると何もすることがない。宿泊客は我々だけで、森閑としている。スエーデン学生を相手に、残り物のワインをちびちびやりながらアメリカの学生生活のことなどを聞いて時間をつぶした。
翌朝バスは今回の旅のハイライトであるモンサンミッシェルに向かって走る。修道院と一体となった岩山が徐々に近づいてなかなかの迫力である。海鳥の鳴き声を聞きながら階段を上る。有名なオムレツの昼食を食べた。僅か二個ほどの卵であるが、かき混ぜて気泡を入れているため皿いっぱいの大きさになっている。当時ここは日本ではそれほど知られていなかったのであろう、旅の間中一度も日本人には出会わなかった。修道院という特殊な宗教施設がこの国で持つ意味を何か強く印象付けられた。
アメリカ人男性の提案で食事の際のワイン代は男性二人で持つことになった。といってもとても安いのである。そんな食事の際、この地方の名産としてカルヴァドスというリンゴ酒が有名であることが話題になった。筆者が冗談半分に次回の食事ではカルヴァドスを注文しようといったところ、それまでほとんど会話に参加しなかったスペイン人女性が妖しげな目配せをしながらケラケラ笑い出した。他の人はキョトンとしている。後で考えてみると、カルヴァドスはとても口当たりの良い強い酒で、男がそれを女性にすすめるのは下心があってのことだということではなかろうか。
それにしても運転手のタフぶりには感心のほかない。早朝にパリを出発し、丸二日間バスの運転をしながらの観光案内である。モンサンミッシェルの後も二か所ほど名所を訪ね、夕食の後バスはようやくパリにもどってきた。光の海の中をバスは出発地点のバスティーユ広場に向かってゆく。時計を見ると十一時を過ぎていた。