体験記・紀行文
右手にジャーナル、左手にマガジン
大学一年の夏休み。喫茶店のアルバイトに応募したら、系列バーでホステスをやらんかと言われてガックリ。更に、ロシア語劇サークルで合宿した青木湖では、見知らぬ青年が「ねえ、君たちの端に座っている女性はOB?」。老け顔小娘の友人が答えた――あらやだ、私たちと同じ新入生よ。
青年はそれから毎日我々の民宿を訪れ、人懐こい笑顔で他の語劇仲間ともすっかり打解けてしまった。聞けば東大医学部を目指して浪人中で、涼を求めて東京を逃げだしてきたという。夏休みが終わると放課後の練習を覗きにくるようになり、食事に誘われたのはいいが……、困ったことに本格的なフレンチ・レストラン。アペリチフがどうのこうの、ワイン選びにもウンチクをひとしきり。
「ウチの近所にガス灯(らいと)という有名なバーがあってね」 (赤提灯ならうちのほうにも…)
「今週の朝日ジャーナルのあのコラム読んだ?」 (少年マガジンなら少々)
住まいは麻布狸穴のロシア大使館に近い一戸建てで、妹はパリに音楽留学だそうな。どう考えても不釣り合いだし、十八歳とは信じがたいその貴公子ぶり、いや気障っぷりがやたらと鼻につく。とりあえずの対抗策として朝日ジャーナルを買って通学電車で開いてみたが、いつまでも同じページを目が泳ぐだけでまったく頭に入らない。ふと気付くと、向かいの席で若い男二人がこちらを観察している。降り際に聞こえよがしの声、「似合わねぇよなぁ」
こんな調子で半年ほど、どうも心を開けぬままにいつしか会わなくなって、なんだか肩の荷がおりた。
その後、ある大手商社に就職した語劇仲間が、「アイツが入社してきたぞ。医学部はやめて農学部にしたんだとさ」と教えてくれた。そして更に数年後、駐在先のイタリアに永住するらしいとの噂。
「右手にジャーナル、左手にマガジン(少年マガジン)」あるいは「右手にジャーナル、左手にパンチ(平凡パンチ)」と言われたジャーナル全盛時代を、いまや名実ともに老けたオバサンは、時に懐かしく思い出すのだ。