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エッセイ・コラム 日常生活雑感

孫の世界地図 その1

大平忠

 4年ぶりに娘夫婦の住むオレゴン・ポートランドにやってきた。年齢とともに時差の影響が長引くようになった。夜が難物である。なかなか眠れない。寝ている部屋は本来孫の部屋であるが、孫を追い出して家内と二人で一時借用している。部屋の壁には大きな世界地図がかかっていて、夜中でもこれがぼんやりと見える。眠れないままにこの世界地図を眺めながらもやもや考えているうちに。いつのまにか寝るという夜を過ごしている。最初の晩のことである。

 成田空港を飛び立ってポートランドには約9時間で到着した。昔を考えれば、万延元年(1860年)に咸臨丸が太平洋を渡ったときは、確か40日弱を要したと思う。この150年間でざっと100分の1に時間は縮まった訳だ。この計算もベッドの中で暗算する。たいへんな進歩である。このときの咸臨丸の艦長勝海舟が、初めて見るアメリカについて漏らした感想が思い浮かんできた。

 海舟は、アメリカ人に、「ワシントン大統領の末裔は今何をしているのか」と尋ねたが、誰も知らない。世襲ではなくそのときどき適格と思われる人物が選ばれると教えられ、政治の仕組みに感心したそうだ。帰国後、坂本竜馬から、アメリカの大統領は何を考えているのかと問われて、「食堂の給仕の生活を心配している」と答える。龍馬は「それでは尭舜ということか」と打てば響く反応をしたとか。秀逸なのは、幕府老中から呼び出され、アメリカで何を見て来たかとの問いに対するやりとりである。最初は、「なに我が国と同じような国です」と受け流す。老中は満足せずに、鋭いお前のこと故、何かあろうと迫る。固辞していた海舟も、それでは申し上げますと述べる。「彼の国では、人の上に立つ者は官民問わずその地位に応じて、しかるべき力を持った者が任じられております。その点が、我が国とまったく異なるところであります」と言ってのける。
 海舟特有のほら話が交じっているかもしれないが、150年後の今日ただいまの日本に当て嵌まるから参ってしまう。

 4年前にオレゴンへ来たとき、日本の首相は安倍晋三であった。以来、福田、麻生、鳩山、となんと4代続いて「末裔」が首相の座を占めた。アメリカでも、ブッシュ親子のような例があるが、いくらなんでもなにかがおかしい。
 この1年半以上、いまに続く民主党政権のどたばた騒ぎ、あるいは原発震災での東京電力の右往左往を見せつけられると、官民ともどもトップがしかるべき力を持っていないことは歴然としている。

 科学技術は限りなく進歩するが、人間集団の営みはなぜ向上しないのか。「100と50年、おめえら、いってえ、何してやがったんだ!」海舟の声が聞こえてくる。転々反側、オレゴン初日の夜は明けた。

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