日常生活雑感
Good Loser
囲碁というゲームがある。プロ棋士は一局の勝負が終わると、対局者は必ずその戦いぶりを振り返り、いろいろな角度から、詳らかに局後の検討をするのを常としている。それを一般に〝感想戦〟とも言う。
テレビなどでその光景を観ていると、彼らと同じような立ち振る舞いを、愚鈍な私には果して出来るだろうか、といつも痛感する。
つまり、勝者は驕ることなく、常に敗者を思いやる心を忘れない。内心は、してやったり、と喜びたい時もあるだろうが、そんなことはおくびにも出さない。相手の悔しいに違いない心情をひたすら慮(おもんぱか)って、それすら相手に悟られないような言動に終始するのである。洗練された惻隠の情と言おうか。
一方敗者は、内心、煮えたぎるような悔しさと敗因への後悔の念に苛まれ、時には紙屑のように自虐しながら、今にも泣き出したいくらいな心境であろうが、それをぐっと堪えて、ひたすら明るく振る舞い、時には笑みを浮かべながら相手の意見や感想に耳を傾ける。そこには負けた言い訳などは一切顔を出さない。洗練された虚心の境地である。
こうして感想戦は、真剣ではあるが、和やかな雰囲気の中で、時間が許す限り続くのだそうだ。
プロ棋士にとって一局一局には生活と名誉が掛っている。従って時には憤然としてその場を立ち去ることもあるらしいが、しかしそれは至極稀で、彼らの挙措には完熟した紳士の姿が常に在る。勝者はGood Winnerに、敗者はGood Loserに。何と美しい光景であろうか。
人々が皆、このプロ棋士たちのように、相手を尊敬し、心の内を忖度し合えば、隣人との諍(いさか)いも、世界各地で後を絶たない民族間の軋轢や戦争なども起こらなくなるだろう。
私を含めた世間のザル碁(下手くそな碁打ち)たちがプロ棋士から学び取り、常に模範とすべきは、その知識や技術だけでなく、彼らの秀偉な精神、即ち、磨き抜かれた人間性である。
「囲碁で子供は大人に成り、囲碁で大人は紳士に成る」とは誰かが言った。
Good Winnerに成るのは比較的容易だが、Good Loserに成るのは至難の業に近い。常にGood Loserたらん、と自分に言い聞かせながら、私は今日も碁会所に向かうのだが・・・。