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エッセイ・コラム 日常生活雑感

孫の世界地図 その3

大平 忠

 夜中に目が覚めて孫の世界地図を見ていると、いろいろ考える。昨夜は夕食のこなれが悪かったせいか、妄想が頭に渦巻いた。
 アメリカ製の世界地図は、横長で縦が1m弱、横が2m弱、左に南北アメリカ大陸、中央がヨーロッパで右へユーラシア大陸が伸び、右に日本が描かれている。太平洋は、左右の余白である。アメリカから日本を見ると、地球儀で見ない限り日本が一番遠い国でfar east Japanである。かつて、コロンブスがアメリカ大陸を発見するまでは、ユーラシア大陸が世界であり、いわば、世界を東の日本と西のイギリス、この二つの島国で挟んでいたことに気がついた。
 しかし、同じ島国の歴史でも歩みはまったく違っ ている。16世紀、大航海時代は、イギリスはスペイン、ポルトガルに遅れを取った後発国であったが、臆せず海洋に乗り出した。当初、イギリスの海洋戦略は、スペイン、ポルトガルが植民地から持ち帰る物資を略奪するところから始まった。ドレークは海賊行為により国家に貢献し、ナイトの称号を得たのである。16世紀末のスペイン無敵艦隊との大会戦に勝利した後は、両国を凌駕して、七つの海にユニオンジャックの旗をなびかせた。北アメリカ、南アフリカ、中近東を抑え、インド、中国へと利権を拡大した。オーストラリア、ニュージーランドもいつのまにか獲得している。その時代の最強の武器である船を駆使して世界を植民地化してしまった。パワーポリティックスどころか弱肉強食行為が是認されている時代であった。
 日本といえば、16世紀後半は戦国時代末期である。歴史のifを考える。もし、織田信長が、本能寺で倒れることなく日本統一を果たしていたらその後の日本はどうなっていたか。秀吉のように馬鹿な朝鮮征伐はせず、家康のように国を閉ざして遺訓まで残すことはまずしなかった。地球規模の視野を持ち、商業を重視した信長は、世界との交易を当然考えたであろう。巨大な商船隊とそれを守る軍船隊を作り上げ、自らも南洋の海へ、さらにヨーロッパへと乗り出していたかもしれない。飛躍して考えれば、インドネシアはオランダに、ベトナムはフランスに植民地化されることもなかったのではないか。しかも、織田信長のことだ。天衣無縫に見えても細心である。イギリスと歯向かって大海戦をやる愚は避けたに違いない。
 16、17世紀から、世界に目を向けて日本が動いていたら、我が国の近代化はもっと早まっていたと思うと無念である。明治に欧米を視察した岩倉たちは、米欧との遅れは50年と見積もった。その50年の遅れは無かったと思いたい。
 世界の歴史は、早いもの勝ち、強いもの勝ちの繰り返しであった。その後、19世紀後半から20世紀前半の世界の動きもそうだ。侵略して獲得した利権を維持しようとする先発国と抵抗する後発国との摩擦である。出遅れた日本は、明治から昭和にかけ、先発国欧米に頭を押さえられながら、遅れを取り戻さんがために大いに焦った。ただし、明治の元勲たちは、焦りながらも冷静な覚めた目を持ち、彼我の力を見比べながら、背伸びはしたが慎重に漸進した。現実を踏まえたリアリストたちだった。昭和に入ってからの権力者たちは世界を見てから考える謙虚さを失った。軍の中でも英米を学んだ良識派は権力闘争に弱かった。権力闘争には常に不条理が伴っている。昭和に入っての権力者たちは、矮小な視野しか持たず、自らの驕りにも気がつかず、卑小な自己陶酔、自己正当化の流れに身を委ね、国民の命も二の次にして自ら滅亡へと吸い込まれてしまった。大東亜戦争の悲劇である。
 織田信長が本能寺で倒れなかったら、日本の近代化は早まり、そして大東亜戦争は起こらなかったのでは。桶屋の三段論法である。つまるところ、イギリスと日本の相違は、世界へ目を向けて動いたかどうかにあり、それが国の運命を分けたと言いたい。
 今年も8月15日が近づいた。これは、ifからifへと妄想した真夏の夜の夢である。しかし、すべて物事は、この世界地図を正確に見ることから始めなければならない。これは時代を超えて、特に今も、最も必要な真理であろう。
 孫は隣の部屋でおとなしく寝ているようだ。

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