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エッセイ・コラム

枯草のざわめき:息子たちの時代

濱田 優(ゆたか)

 古希を迎えたとき、ある同期会で配られた名簿を見ると逝去者は案外少なかった。
「ご同慶の至り」とみんなで喜んでいたら、物知りの仲間に冷水を浴びせられた。
「今は昔と違って古希を超える人が多数派になった。が、ここから厳しくなるぞ。無事に喜寿を迎えられる人はがくんと減るそうだ」

 それから3年、不本意ではあるが、彼のいうとおりぽつぽつ同輩の訃報を聞くようになった。
 先日も同輩が急に病死した。人付き合いのいい男だったので通夜には会社仲間や学生時代からの友人が大勢集まり、早すぎる彼の死を惜しんだ。不謹慎の謗りを受けるかもしれないが、若死にした方が沢山友人が集まって賑やかに送ってもらえる。

 その夜、帰る方向が途中まで一緒の同僚二人と岐路のターミナルの駅前で旧交を温めた。先立った友の冥福を祈る献杯のあと、互いの近況を交わす。
「悩みは尽きないけれど、今一番心に引っ掛かっているのは息子の悩みだな」
 口火を切って話しはじめたNが、こういって溜息をついた。
「高校時代にいろいろあったあの息子さんか。今も問題を起こしているの?」
「いや、以前は息子が悩みのタネだった。今、彼はハンディを負いながら頑張っている。なのに、職場環境が悪くて報われず辛い思いをしている。彼の悩みがぼくの悩みなんだ」

 彼の息子が高校2年のとき非行に走り、学校も休みがちになった。「今が大事な時だからしっかり勉強してちゃんとした大学にいかないと、後で後悔するぞ」と彼が諭しても、反抗的になった息子は聞く耳を持たない。それどころか、こんな異論を唱えてしれっとしている。
「友だちのお父さんは、高校時代にぐれて学校も中退し、ワルをやったけれど、今は不動産で儲けて金回りがいいんだ。で、凄いバイクを買ってもらっている」
〈それに引き替え、うちの親父はちゃんとした大学を出てちゃんとした会社に入ったのに、給与カットが多くていつもピーピー。バイクを買ってくれといったら、トンデモナイといわれた〉
 息子は、内心ではそう思っているに違いない。ぐっと言葉に窮したNは彼を殴りたくなって拳を固めたものの、力負けしそうでやめた。

 ここまでの話は当時Nから聞いた。その後日談がある。
 それほど月日が経たないうちに不動産バブルが弾け、息子の友だちの家は不動産取引の失敗で破産。友だちは大学進学を諦め、高卒で就職することになった。さすがにNの息子も世の中の厳しさを知ったか、父親のいうことを聞くようになった。しかし、勉強の遅れは簡単には取り戻せない。結局、まともな大学には入れず、不況が重なり就職口が見つからなかった。それでフリーターをしながら求職活動を続けたが、いい就職先に巡り合えず、今は派遣社員になって仕事を続けている。

「今度のところには1年以上勤め続けて、本人も仕事に働き甲斐を感じていてね。給料は安くて半分パラサイト状態だけど、取りあえずはこのまま長続きして欲しいと願っていたんだ」とNはいう。「ところが先日、息子が悲憤慷慨していた。どうした、と聞くと、最近派遣先の上司が変わり、休暇も取るのも不自由になった。申請してもなかなかOKが出ず、友だちと行く旅行の計画も立てられない。それで督促したら不機嫌になって、終には、『お前の代わりなんかいくらでもいるぞ。なんだったらずっと休んでいいよ』といわれたそうだ」
「どんな状況であれ、そのセリフはひどいな。上司のパワハラで派遣社員がやる気をなくしたら派遣先も損をするのに」と、私がNの怒りを受ける。

「今どき、働き手の若者が辛い思いをしているのは、派遣だけなく正社員も同じような状況が多くて、うちの息子も苦労してるよ」
 横でNの話を黙って聞いていたTが口を挟んだ。
「えっ、おたくの息子は出来が良くて、ブランド校を出て都市銀行に勤めたと自慢してじゃないか」私は驚いて彼の説明を待った。

「都市銀行とはいっても下位なので金融業界再編成の大波の中で何度も合併を繰り返しているうちに、名前はとっくになくなり、店舗の多くは潰されて今や元の銀行を憶えている人はほとんどいない」とNはいう。「行内では息子の銀行の出身者は少数派で影が薄い」
「なるほど、時代の波に翻弄されたんだ」と私。
「そう、元の上役はいなくなって後ろ盾を失い、マイノリティの悲哀を味わった。毎日疎外感をさいなまれて不眠症になり、そのうち食欲もなくなって、鬱(うつ)的症状に罹ってしまったんだ。勤めを続けられなくなったときは本当に参ったよ。なにしろ嫁と五つになる男の子がいるからね」
「そりゃ大変だ。うちの奴は結婚もできないから身軽だけど」とN。
「彼が自分を追い詰めないように嫁も家内も気を配り、最悪の事態は避けられた。それにいい精神科医に出会えたことが幸いして、半年あまり経った今、やっと快方に向かいはじめてホッとしている。いつ職場に復帰できるのか、まだ見通しが立たないけれどね」
 Tは、息子自慢ばかりでなく、ちょっと格好つけるところがある。世間体を気にする彼が、こんなことを口にするなんて以前なら考えられない。人柄が変わるほど辛い思いをしたのか。Nの率直な打明け話に誘発されたことあるだろう。

 二人から、「おたくの息子はどうなんだ?」と問われたが、「今はどうにかやっているけれど、数年先は厳しい」と答えると、「そりゃあまだ幸せだ」といって話を閉じられそうになった。「そういうな。うちなりに深刻に悩んでいるのだから、ちょっと聞いてくれ」といい、手短にうちの状況を話した。
 外資系企業に勤めるうちの息子も、ノルマが高過ぎるのか、能力に問題があるのか、多分両方が原因で過重労働に追われ、しかも順法重視で残業時間が規制されているので息子は自己責任でサービス残業をしている始末。身体にもあちこちガタがきている。しかも上の方は本社からきたコストカッターに抑えられていて、先行きの楽しみもないという。
「そんな息子にどんな言葉を掛けて励ましたらいいのか、皆目見当がつかないので今日は二人の知恵を借りようと思ったのだが……」

「過去の経験が通じないステージだからね、今は。難しいよ。だいたいぼくたちは、日本の経済成長期で人手不足の時代に現役だったんだ。無論不景気の時もあったし、嫌な上司に『お前なんか辞めてしまえ』といわれることもあったけれど、少し我慢をすれば売り手市場に戻って働き手は大事にされた。外資系も少なく日本的なウエットな企業風土も幅を利かせていたしね」と、Nが時代背景の違いをいう。
「そうなんだ。誰しも自分の体験からものをいうけど、時代が変わったからね。俺はそれに気づかずに失敗した。息子がマイノリティになってどうのこうのといったとき、叱ったんだ。『逃げ口上をいうな。本当に有能な人材なら会社は放っとかない』ってね。でも今は、本当のスペシャリスト以外、実際に代わりはいくらでもいるんだ。俺は息子を励ますつもりで厳しく言ったことが裏目に出てね。家内にも医者にも手厳しく叱られた」と、Tが告白する。

「そうか、我々には人が余っている時代の現役を助ける術はないのか。ただ手をこまねいているだけなんて情けないな」私は愕然とした。
「三人の中ではぼくが一番早くからそうした問題で悩んだからいえると思うけど、何も出来ないわけではなんだ」とNが期待を持たせる発言をする。
 彼はいう。教えたり導いたりすることは出来なくても、子どもの話をひたすら聴くことで彼の悩みを軽くすることができる。今度の休暇の問題でも、以前なら子どもは親に話してもまともに聞いてもらえないと見限って、すぐ辞めるといったり、どんどん内向して行って病気になったり、はたまた暴走してとんでもないことになったかもしれない。だが、自分の悩みを親と分かち合えたことで気持ちにゆとりが生じ、新しい上司の性格や行動パターンを自分で調べて、自分なりの対処法を考え出すだろう。それで乗り切ってくれるがどうかは分からないが、その時はその時。万策尽きる前にやることはまだ沢山ある。

「なるほど、最近テレビで『傾聴』ボランティアの活動を見て、お年寄りの頑な心をほぐす技と理解したが、それは他にも応用できるということか」とTは聞く。
「そう、特に職場である程度職務経験を積んだ人が、学ぶばかりでなく自ら考えてステップアップするように支援するスキルの基本は『傾聴』といわれているんだ」
 Nはだいぶ勉強しているようで頼もしい。
「なんだ、身近にいい先生がいたんだ。少し希望が持ててきたよ」と私。

「しかし、『傾聴』は〝いうは易く行うは難し〟だと思うな、俺は」Tが反論した。「さっき話した俺の失敗談のように、俺たちは自分の成功体験から現役の中堅や若手を説教したがる。ひどい人は、相手が何かいいかけると、その話に被せて独演会をはじめる始末。傾聴ではこれが一番いけないと頭でわかっても、相手と話しているうちにまどろっこしくなって、つい……。
 だからスキルを学んでも、俺たちの精神構造が変わらないと駄目なんじゃないか。いくら羊の皮を被っても正体は判ってしまうよ、相手は真剣なんだから。
 俺は自分にレッドカードを出して、息子とは世間話しかしないことにしている」
「あんたのいう通りだけれど、〈俺たちは〉を〈俺は〉に直して欲しい。同世代に共通する部分もあるけれど、性格や経験は千差万別。俺たちの中にも相手が自然と心を開く聴き上手は数多くいるよ」
 Nが反論の反論をする。面白くなってきた。

「手厳しいな。俺たちの世代という中には年のことも入っているんだ。俺も昔は今の自分のような上役を見て、ああはなりたくないと思っていたのに、いつか気が短くなって――、避けられない老化現象だろう」と、Tは情状酌量を求める風情だ。
「確かに誰でも老化する。けど現象は同じじゃないぞ。ことに頭はよく使う人ほど衰えないといわれる。傾聴の聴き手をすると、相手を理解するために柔軟な考え方が求められ、話下手のいうことも我慢強く聴かねばならないからコミュニケーション力が上がるそうだ。頭の老化防止にも役立つんじゃないかな。自分は駄目と決めつけないで挑戦してみたらどうだい」

 最近、私も物忘れが酷いばかりか、堪え性がなくなり老化が進んできた。息子のためにもなり、自分の老化防止も期待できるなら、傾聴することは一石二鳥で損のない話だ。これまでは〝便りのないのはよい便り〟として、こちらから息子に声を掛けることはなかったが、一つ彼の話をよく聴くことからはじめてみるか。
 二人の遣り取りを聞きながら、私は虫がいいことを考えていた。

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