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エッセイ・コラム

焚き木の報酬

西田 昭良

 「あ、あんな高い所に西武電車が走ってる!」
 と驚いた。そこが西武新宿線の高田馬場駅であることはすぐに判った。電車に乗っている時は、もし脱線して真下の川に落ちたらどうしよう、といつも車窓から肝を冷やしていた所を、今、下から望んでいる。
 駅の少し手前から西武線は山手線の下をくぐり、大きく右にカーブしながら登り、電車はゆっくりとホームに滑り込む。そこを、川っぷち、つまり駅の下の方から眺めるのは、その日が初めてだった。
 驚いたのはその光景ではない。よくもこんな遠い所にまで歩いて来てしまったものだ、ということだった。出発した沼袋近くから高田馬場までは三つの駅を通過する。その駅名くらいはもう知っていた。区間距離が2キロ前後として、高田馬場まで約8キロ。そこを歩いたことになる。小学校へ上がる前の五、六才頃だったから、そんな難しい計算は出来なかったが、歩いたことのないこんな遠い所までよくも来たもんだ、という実感に驚いたのだった。しかもリヤカーを押しながら。
 近くの風呂屋の息子に、これから焚き木を取りに行くから一緒に行こう、と誘われて、すぐに承諾してしまったのだが、まさか高田馬場までは、と想像もしていなかった。だから家にも断っていない。
 途中、喉が渇いたと言うと、風呂屋のおじさんはアイスキャンデーを買ってくれた。息子と二人でリヤカーに乗り、お喋りをしながら、しゃぶる。往(いき)のリヤカーはまだ空だから、平らな道では乗ってもいい、とおじさんの許しが出ていた。
 高田馬場の川べりにあるビール工場、そこが目的地。そこから出る木材の切れ端が風呂屋の焚き木となる。それを貰いに来たのだ。
 木っ端を積み込む前に、おじさんは持参のにぎり飯を振る舞ってくれた。もうお昼を過ぎていた。
 薪を沢山積み込めるように、リヤカーの荷台には大人の背丈ほどの板囲いが張ってある。そこが一杯になると、さあ復(かえ)りの出発だ。
 往きはヨイヨイだったが、復りは大変。喘ぎ喘ぎリヤカーを引くおじさんを息子と僕が後を押す。砂利穴の多い道路は体力と時間を極度に消耗させた。三人ともへとへとになって風呂屋の裏庭に辿り着いたのは、もう夕方だった。おじさんは、よく頑張った、と僕の頭を撫でてくれた。
 跳んで家に帰ると、太い角を出した母ちゃんが真っ赤になって待っていた。昼飯時になっても帰ってこないので付近を捜し廻ったと言う。以来、どんな時でも、事前に断ることを義務づけられた。
 この事件で僕の遊びの行動範囲は非常に狭く、そして窮屈なものになったが、一つだけ大きな報酬が降ってきた。それはタダでお風呂に入れること、更に仕事場、つまり浴場の壁画の裏にある釜場に自由に出入りすることを許されたことだった。
 仕事場は天井に裸電球が一つぶら下がっているだけの薄暗い板の間だが、赤く燃える釜の火が周囲を明るくし、冬でも暖かく包んでくれていた。
 当然ながら、仕事場から浴場には引き戸一枚で入れる仕組みになっている。よく客が手を叩くと、おじさんがそこから出てきて、背中を流す光景を目にしたことがある。息子と二人でそこからひょいと中に入り、客になりすまして湯船に入るのが面白かったが、それより、引き戸に開けてある小さな穴の方がはるかに僕の興味を引いた。何故なら、そこからは男湯も女湯も、いつでも自由に覗くことが出来たからだ。
 毎日、目の周りに丸いクマが出来るほど浴場を覗いているうちに、僕は或る大発見に気が付いた。それは、脱衣所からガラス戸を開けてタイル張りの浴場に入る時、男は必ず前を手拭で隠すのだが、女は殆ど隠さない、という現実だった。
 普通は男より女の方が上品な立ち振る舞いをするものだ、と子供ながらに思っていた。だが実際は女の方が下品だという大発見に、風呂屋の息子と二人は手を取り合って喜んだ。
 この焚き木の報酬は、二人の仲良しを更に強いものにしたが、何れにしろ、男と女の違いの最初の認識と、僕のマセっぷりは、今思えば、この時から始まったと言ってよい。
 のどかだった戦前の、遠い昔のことだった。

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