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エッセイ・コラム

蝋人形とオーラ

金京 法一

 マダムタッソウ美術館はロンドンの有名な蝋人形館である。歴史上の人物を初め有名人の蝋人形が展示され、いつも観光客で賑わっている。この蝋人形の一部がお台場のショッピングセンターで展示され、近くに出かけたついでに家族で見に行った。やや小規模な展示であったが、単に見るだけでなく、等身大の人形と一緒にポーズして写真を撮ることもできる。若い人たちで賑わっていた。マイケル・ジャクソン、デカプリオ、ジャッキー・チェン、レディー・ガガなどハリウッドのスターばかりであった。筆者もそんな雰囲気に乗せられてオードリ・ヘップバーンと「ティファニーで朝食を」の場面を背景に写真を撮った。

 蝋人形は実に精巧にできており、目などは生きている人間のそれのように見える。手足の形も動いていたのが一瞬止まったかのような錯覚を起させる。しかし何となく違和感を覚える。意外に小さく見えるのである。頭部はなにか手で持てる程度の石のような印象であり、背丈も意外に低く見える。ところが生きた人間がそばに立つと、頭部は大きく、背丈は十分に高い。何故であろうか。蝋人形を見ている間に告別式の場面を思い浮かべた。最近告別式では出棺の前に会葬者が遺体と対面し、花や故人ゆかりの品を棺に入れるのが通例である。いつも感じるのであるが、故人が意外に小さく、特に生気の失せた顔が本当に小さく見えるのである。死の病でやつれたと思っていたが、どうもそうではないらしい。

 生きている人間とそうではない人体の決定的な違いは、顔を含め全身からオーラが出ているか否かではないのか。生きている人間の身体は絶えず動いており、生気と称される表情が全身から輝きだしている。死体や蝋人形にはそれがないのである。ところでオーラとは何であろうか。具体的な定義は知らないが、「生」が現前するところに生ずる生気のようなものではなかろうか。

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