ルーツの謎
晩秋のある日、親しい会社の先輩から分厚い宅配便が届いた。タイミングを計ったように電話が入る。後期高齢者になったのを機に自分のルーツを調べて纏めた原稿が完成したので、製本化の前に推敲してほしいという。日立の旧家だ。家の歴史、父親の一生などが写真を織り交ぜながら物語り風に綴られていて、面白かった。これが契機で、同じ年恰好の筆者もルーツ物語を書き始める気分になり、母の一周忌の法事を終えた年明け早々に構想を練り始めた。
96歳で他界した母の実家は江戸時代からの近江商人である。江戸末期から輸入されたモスリンなどを扱った繊維問屋で、明治から昭和の日中戦争が始まる頃まで莫大な財を成した。ご先祖の名前は西村與兵衛、店の名は『近與』と聞いている。明治以降の系図は母が詳しく手書きしたのが残っている。祖父も載っている近江商人伝などの郷土史も何冊か入手した。全盛期には、近隣のアジア諸国との取引もあったといわれている。犬養毅元首相と昵懇の政商でもあったが、関東大震災、経済恐慌を挿んで浮き沈みの激しい一生だった。
筆者が生れた昭和12年に日中戦争が始まり、政府から「繊維製品の使用制限」が公布されたのが、影が見え出した端緒という。嫡男に恵まれず、三人姉妹の長女に迎えた慶応ボーイで大酒飲みの養子が身を持ち崩した。敗戦を境に一家は倒産。どん底まで落ち込んだ。疎開先の長瀞で終戦直後に亡くなった祖父は、リヤカーで焼き場に運ばれた。豪気・豪胆で、遊びも嫌いでなかったというから、内外のどこぞに落としだねが潜んでいるかもしれない。短い小説にすることから始めるのも面白かろう。
何かとばくちはないものか。全盛期には日本橋の大店だったと亡母から聞いていたので、その辺りからネットで探るとかなりの情報が手に入った。地名は一部変わっているが、日本橋の人形町にある「甘酒通り」を抜けた一帯が、江戸時代から栄えた近江商人の繊維問屋街という。地名でいえば、富沢町、久松町、堀留町。その辺りの商業史を描いた論文が数点見つかり、明治から昭和に掛けて存在した祖父の店の場所まで究明できた。富沢町の角地である。大川(隅田川)に通じる浜町川という水路があり、そこに架かる栄橋に繋がる区画だ。下町にしては広い道幅の両側に名が知れた繊維関係の会社や団体の低層ビルが並んでいる。区割りもしっかりしている。街中を走る大門通りで吉原に結ばれていた。
掘割は昭和40年頃に暗渠となり、緑道となって面影がない。肝心の栄橋も跡形はない。現地の警察署、消防署に尋ねたが埒が明かない。日曜で殆どの商店が閉まっているなか、唯一開いていた小さな和菓子屋に立ち寄ると、眼と鼻の先が栄橋跡と判明した。店番の旦那は筆者と同い年くらい。女将さんの方が地元の出らしく、あれこれ昔話を披露してくれた。「ここ(富沢町と栄橋)が舞台になった本がありますよ。佐伯泰英さんの『古着屋総兵衛』です。今読んでいるけど最高に面白いですよ」というではないか。文庫版で11巻ある。
アマゾンでまずは3巻求めた。主人公は江戸時代に家康から可愛がられた大手古着屋の当主。琉球、台湾、遠くはベトナムとも交易する豪商だが、一族の裏の顔は、徳川幕府の隠れ旗本として影働きをしている。当主が危篤で直系に男子がないので、急遽跡継ぎを探すところから物語が始まる。六代目を曾祖父とするベトナムで生まれの男性がご先祖の啓示で登場し、当主に納まるところまで読んだ。池波正太郎物と同じで読み出したら止められない。この先どのように展開するのか。ひょっとしたら我がルーツの謎が解かれるかも…、と隠居は呟いている。