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エッセイ・コラム

『日本の自殺』―グループ1984年執筆 との邂逅

大平 忠

 昨日(2月10日)、発行された『文芸春秋』の目次を見て驚いた。「予言の書『日本の自殺』再考」の表題を見つけたからである。この「グループ1984年」執筆の論文が、『文芸春秋』に掲載されたのは37年前の1975年(昭和50年)2月号であった。この論文を、通勤の横須賀線の車中で読み衝撃を受けたことを覚えている。「グループ1984年」の作者名は、ジョージ・オーウェルが1948年に書いた未来の予言小説『1984年』から名付けたであろうことも想像できた。
 私は、新しい『文芸春秋』の中身にはまだ目を通していない。37年ぶりに読み返す前に、思い出したことどもを書いている。

 1975年に、この論文を読んで以来、『文芸春秋』2月号は暫く保管していたが、それこそ「1984年」の引越しの際に見失ってしまった。いま覚えているのは、冒頭の数頁他僅かである。過去の文明の衰亡を辿ると、外部からではなく内部から崩壊していくのが通例であること。その例としてローマの文明をあげ、「パンとサーカス」の言葉で、市民に対する権力の迎合が人を無力化し、腐食させることが原因だったこと。これらの例を用いて、経済的には豊かになった日本に潜む衰亡の徴候に、警鐘を鳴らしている内容だった。

 そのとき以来、「グループ1984年」はどういう人たちのグループか、たいへん気になり続けてきた。香山健一を中心とする若手学者であることを知ったのは、相当後であった。一時は、京都大学高坂正堯教授等かと思い、著作を調べたこともあった。違うことを知った後も、高坂正堯の本はよく読んだ。1981年『文明が衰亡するとき』、1992年『日本存亡のとき』など、やはり、香山健一とは視点を違えても、文明の衰亡についてを論ずるのは同じで、憂いは共通していたのであろう。京大からは、そのあと1998年に中西輝政も『なぜ国家は衰亡するのか』の書で、イギリスの後を追う日本への危惧を表していた。

 日本はまさしく、今から37年前の予測どおりになってきたといえよう。これが書かれたときは日本はまだまだ成長していた。この論文のすごさは、絶頂期の来る1980年代の前に書かれたことである。
 香山健一1933年生まれ、高坂正堯は1934年生まれで、この二人は同世代である。高坂は佐藤栄作のブレーンとして、香山は、公文俊平等と、大平正芳、それを引き継いだ中曽根康弘のブレーンとして、国の舵取りの役割を担った。二人は、昭和の終わりから平成の初めにかけての論壇で活躍した。産経新聞の『正論』にもよく登場した。
 二人とも、1990年代の終わりに、それも60になって間もなく亡くなった。あたかも、21世紀の国の未来を憂うあまりの早世のようで胸を打つ。

 私はいま74才である。37才のときにこの論文を読み、それからまた37年の年月が経ってしまった。いったい何をしてきたのか。突き上げるように痛みが湧いてくる。

(平成24年2月11日、紀元節の日に)

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