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エッセイ・コラム

イースター島の黙示録

池田 隆

 地球儀を見ていると、新たなことに気づく。その一つが太平洋、とくに南太平洋の広さである。タヒチ島辺りを正面にして地球儀を眺めると、視野は太平洋で占められる。南太平洋の東寄りには唯一つ、イースター島だけがあり、他には小さな島も見当たらない。
 ペルーを船出してイースター島に着くまでの六日間は、たしかに島影一つ見えなかった。島に港は無く、沖合からテンダー・ボートで上陸する。
 この島は全周約六十キロメートルの小さな島で、現人口は四千人弱である。その大半はチリー本土からの移住者で、原住民はわずか百人強である。長い大きな顔をしたモアイ像と呼ばれる石像が多数あることで世界に知られている。
 島の随所にモアイ像を見かける。立ったり、寝かされたり、複数を並べたり、散り散りに置かれたり、海を見たり、丘を見たり、様々である。島全体は草に覆われたなだらかな丘陵である。放牧された牛の群れが目立つ。人間の営みを感じさせるのは「ハンガ」という小さな村落とスペースシャトルの緊急着陸用の飛行場だけである。

 七世紀前後、原住民の祖先であるポリネシア人は漢民族によってマレー半島から追い出され、海をわたりタヒチ近辺の南洋諸島に辿りついた。さらに其処から北のハワイ、西南のニュージーランド、そして東南のイースター島に広がった。
 イースター島は他の南洋諸島と同じく巨大椰子などが生い茂っていた。絶海の孤島で外敵もなく、木材や海洋資源も豊富であった。この島に渡来してきたポリネシア人は繁栄を続け、やがて多数の部族に分かれ、守り神としてモアイ像を次々に立てていった。
 しかし数百年の平和な暮らしの中で人口が爆発的に増大した。守り神であるモアイ像の建造道具や生活資材として、島の樹木が切り倒され、豊かな森は消失してしまった。肥えた土は海に流され、農作物は取れなくなり、漁に出る舟さえ造れなくなった。
 食料不足から部族間の戦争が頻発し、相手の守り神であるモアイ像を倒し、その目を破壊した。十八世紀初頭のあるイースターの日、オランダの提督がこの島を発見した。そのときは正に紛争の最中であった。戦いは十九世紀中頃まで続いたが、後から島に来たフランス人によって生き残っていた原住民の多くはタヒチなどへ奴隷として連れ出された。また欧米人によって持ち込まれた天然痘で死亡した。
 最盛時には二万人にも達したという原住民の人口も百名近くに減少した。その多くもタヒチに連れて行かれた奴隷の子孫が帰島し、改めて住みついた人達である。

 宇宙で生命の存在する唯一の星である地球と絶海の孤島であるイースター島、四百を超える原発とモアイ像、温暖化による砂漠化と無思慮な森林伐採、急増する世界人口、核兵器を抱えての国家間の紛争、この島を見て周り、その歴史経過を聞くと両者の類似性を考え込まずにはいられない。
 着いた時には物珍しさだけで島を眺めていたが、船で次の寄港地へと離れる時には、夕闇の中にフェイドアウトしていく島影が黙示録のように見えた。

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