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エッセイ・コラム

旨し酒

平尾 富男

 旨い酒を出す店がある、と誘われた。その酒とは、最近評判になっている山田錦を使った「獺祭(だっさい)」のことだ。場所は渋谷にある小料理屋だという。当日、誘ったご本人は来られなくなったが、雨の中を酒好きの五人がそれぞれ目指す店に集結した。
 店は、精々十数人で満員になってしまうような小さな、しかし未だ新しい小ぎれいな店だ。中年の夫婦と思しき二人だけでの商い。カウンターの向こうの厨房に、いかにも職人といった体(てい)の無口で無愛想な男が料理を一人で賄っている。注文をとったり、酒肴を運んだりする女性は着物姿に割烹着の装い。
 メニューを手に取ると、こんなに種類があったのかと思えるほど「獺祭」が紹介してある。一番上等なのは「磨き二割三分」という、山田錦米を精米出来る限度の23%まで精白した純米大吟醸である。本来の酒の味ではないという御仁もいないではないが、流石に上品で飲み易い。この最高クラスの下位に「磨き三割九分」、更にその下には「純米吟醸50」。これは当然ながら50%の磨き加減(精白)というわけだ。50%磨きの吟醸酒でもお燗に適した「獺祭暖め酒」というのもある。この他に、ワインと同様にスパークリングとラベルに記載されている「蔵出し発泡にごり酒50」等もある。値段はその精米の程度で決まっていくようである。
「獺祭」名前の由来については、蔵元の旭酒造のある山口県の地名が獺越であることや、中国の故事に「獺(かわうそ)が捕らえた魚を並べてお祭りのようだ」というのがあり、そこから文人学者が本を部屋一杯に置き散らかし状況を言うようになり、正岡子規が自らを「獺祭書屋主人」の号で呼んだことなどと、その道の「通」は姦しい。
 初めて「獺祭」を飲んだのは、二年以上も前になるだろうか。毎月本郷三丁目で行われる七、八人の仲間との勉強会の後に行く大衆居酒屋であった。そこでは、壁に張り出されたその日のお薦めメニューの中から肴を選び、日本酒を冷でグラスに三杯(女性参加者は一、二杯)飲むのが儀式のようになっている。「男山」、「真澄」、「白鶴」、「八海山」等々、その店にその時置いてある一般的な銘柄を適当に選んで三種類を飲むのだ。
 ある日、店の女性が「今日は珍しいのが入ってますよ」と言って「獺祭」の一升瓶をテーブルに持ってきた。既に「真澄」から始めて、「澤乃井」を飲み終えていたから、最後の〆にお薦めの「獺祭」を選んでみた。新しい枡の中に入ったグラスに一升瓶から酒をなみなみと注がれる。グラスを溢れた酒は枡一杯になる。お酒が零れないように枡に口を近づけて、吸い込むように、舐めるように味わう。
 既に二杯の酒が五臓六腑に納まっているから、もういい加減ほろ酔い気分である。折角の「獺祭」が格段に美味しいとは分らなくなっていたはずだが、一同声を揃えて「旨い酒だ」と言う。翌月に行くと「獺祭」は入荷していないという。それから数ヶ月経って、「お客さん入りました」と一升瓶が出てきた。それが二度目だった。今考えると、その大衆酒場で飲んだ「獺祭」は、極上品の「磨き二割三分」であるはずはなく、その四分の一の値段の「純米吟醸50」であった。
 さて「獺祭」を「ウリ」にしているという件の渋谷の店では、四人で「磨き二割三分」を手始めに、「蔵出し寒造早槽(かんづくりはやぶね) 純米大吟醸」等を、お薦め料理コースと一緒に愉しんだ。
 店を出ると外は雨が降り続いている。当然のように、もう一軒行こうということになった。知る人ぞ知る渋谷の古い店に赴く。満員で十五分も店の入り口で待たされた。小上がりに案内されて店内を見回すと、有名な女性評論家の姿があった。
 その店には「獺祭」は置いてないが、気の合った仲間と一緒なら飲む酒を選ばない。楽しい会話と鰤大根を肴に飲んだ燗酒は旨かった。 (2012.04.06)

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