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エッセイ・コラム

「アラブの春は終わらない」

都甲 昌利

 東日本の大震災、北朝鮮のミサイル打ち上げ失敗などのビッグニュースがなければ、「アラブの春」はもっと今話題になっていると思う。
 ソ連崩壊前、東欧で共産党独裁政権が崩壊したのは抑圧された民衆の力であった。ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、チェコスロバキアなど独裁政権が倒れ民主化が進んだ。「東欧の春」と言ってよい。このうねりが中東の同じく独裁政権に苦しんでいるアラブ諸国に波及するかに思えたが、やってこなかった。20年経てようやくアラブ諸国にも春がやってきた。

 「アラブの春」は一つの事件から始まった。2010年12月、チュニジア中南部の街で露天商の青年が投身自殺をした。貧しい民衆たちは何時かは同じ運命になるという恐れから、ツイッターやインターネットを通じて立ち上がった。この反政府デモがチュニジア全土に広がった。そして遂にベンアリ大統領がサウジアラビアに亡命し23年間続いた独裁政権に終止符を打った。

 この流れは隣国のリビア、その又隣国のエジプトに広がった。エジプトの民衆は「チュニジアで出来たことは我々も出来る」という強い信念があった。オバマ大統領は「Yes, we can」と言って政権を変えた。この言葉に触発されタハリール広場に集まった民衆は「Yes, we can」を叫んでムバラク大統領を退陣させた。
 チュニジアでもエジプトでもこの反政府運動はサラリーマン、学生、商店主、主婦など普通の市民が自発的に参加したことである。日常生活の延長としてデモに出かけた。イデオロギーを持った指導者などはいなかった。反米でもなく反イスラエルでもない。ただ、独裁政権を倒して民主化を求めた。はっきした政権打倒後の政治形態のイメージがなかった。

 リビヤの場合は全く異なる。民衆のデモは暴力的になった。国内内戦の様を呈した。暴力対暴力はチュニジアやエジプトと異なる。カダフィ大佐を殺したのは間接的にはNATO軍の空爆だ。テレビの映像でカダフィ大佐がピストルで撃たれ血だらけになっている最後は、なぜかルーマニアのチャウシェスク大統領の姿と重なる。
 先日、東京・市ヶ谷の東京日仏学院で『アラブの春は終わらない』を書いたモロッコ出身でフランスに暮らす作家のタハール ベンジェルーン氏と作家・池澤夏樹氏の対談があって聞いてきた。アラブ人でイスラム教徒の作家の話は渦中にある身で傍観者ではない。彼は中東で独裁政権を育成し、今度は解放者と豹変した欺瞞に満ちた欧米中心の秩序から、真の人間の尊厳、自由と自立、公正と安全を目指した民主化を進めることが必要と力説していた。カダフィを殺害すべきではなかった。公正な裁判にかけて真実を明らかにすべきであったと。明らかにすると欧米の指導者は都合が悪いのか。
 「アラブの春」はその後、シリア、イェメン、バハレーンに波及する。欧米諸国やロシア、中国といった諸国の思惑に翻弄され民主化は遠い。チュニジアでもエジプトでも新しい政治形態はみえてこない。タハール・ベンジェルーンは「民主主義は文化。その価値を共有するには時間がかかる。今は過渡期だ。絶望してはならな」と強い口調で述べた。アラブ諸国が真の民主国家になるのは何時の日か。 

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