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エッセイ・コラム

幻の女優

高口 恵子

 先日、恵比寿にある東京都写真美術館で、映画「新しき土」(日英版)が特別上映されました。
 これは、日本初の国際合作映画で、アーノルド・ファンクをドイツから招き、伊丹万作を共同監督として制作されたものです。
 しかし、両監督は、袂を分かつ結果となり、同一の脚本を基にしながら、同タイトルでドイツ版と日英版の二本の異なるフィルムが公開されたと伝えられています。
 その後は、次第にドイツ版がスタンダードな作品として目されるようになり、日英版は上映機会に恵まれず、その存在のみが映画ファンに語られる幻の作品となりました。
 それから、約75年の時を経て1日間限定での今回の上映です。客席はほぼ満席で殆ど高齢者でした。
 これは前述したように、この映画の特異性が人を集めたのでしょうか?私は、「否」だと思われます。推し量るに、「原節子」という女優を大スクリーンで見たいと願う人も多かったのではないでしょうか。
 当時16歳だったという彼女の姿は、半世紀を越えた今なお燦然たる美しさを放っていました。また、その気高さは他に譬えようがなく、純潔と清楚を兼ね備えた一本の白百合のようでした。
 日本の家族主義やその柵をよしとし、個人主義を西欧かぶれとばかりに対比して映し出すモノクロのスクリーンの中で、彼女は見事なまでに日本女性が当時求められていた上流階級のあるべき子女の姿を表現していました。
 映画の中で流れる音楽も、山田耕作が作曲し、挿入歌は北原白秋と西条八十が作詞。 日中戦争に突入する直前の時期に制作された日独合作映画だったので、当時の日本としては、その気負いたるやいかばかりだったかと推し量られますが、もし、主役が原節子でなければ、それら諸々の期待に応えられなかったかもしれません。
 映画界からの引き際も見事だったと聞く原節子。作品が幻ではなく、原節子が幻だったのではないでしょうか。

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