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エッセイ・コラム

ディースカウ逝く!

平尾 富男

 ドイツ、ベルリン生まれのバリトン歌手で、20世紀最高の歌手の一人とされるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが、5月18日に亡くなったという報道を新聞で読んだ。
 ドイツ歌曲に詳しい訳ではないが、彼が歌ったシューベルトの『冬の旅』は学生の頃から何度も聞いた。その完成度の高さは並外れていたと当時から評判が高かった。
 オペラに親しむようになって、舞台上のディースカウの演技を映像で初めて見たのは、カール・ベーム指揮、ベルリン・フィル演奏の『フィガロの結婚』であった。1975年に制作されたそのレーザーディスクは擦り切れるほど(実際にはレーザー光線で読み取るのだから擦り切れはしないが)自宅のレーザーディスク・プレーヤーに掛けて繰り返し楽しんだ。
 モーツアルトのイタリア・オペラの代表作で、ディースカウは威厳を見せようとしながらも滑稽な伯爵役を見事に演じ、彼の嵌り役の一つとなった。伯爵夫人はニュージーランド出身でマオリ族の血を引いている美人ソプラノのキリテ・カナワ、フィガロを演じたのはディースカウと同郷のドイツ歌曲の名手で5歳年下のバリトン歌手ヘルマン・プライ、相手役のスザンヌには、カラヤンに可愛がられたミレッラ・フレーニが配されるという錚々たるキャスティングだった。
 話は脱線するが、このフレーニは1964年ミラノのスカラ座でカラヤン指揮の下、マリア・カラスの当たり役『椿姫』を歌って大失敗をし、以降スカラ座での『椿姫』の公演は暫く「封印」された。この事件は「カラスの呪い」と呼ばれたが、1992年にリカルド・ムーティ指揮による強行公演の成功でこの封印は解かれた。ディースカウと競演したフレーニの『フィガロの結婚』は大好評を博した。

 ディースカウは歌うだけでなく、宗教音楽やドイツ歌曲の優れた研究者でもあった。一般には余り知られていないが、哲学者でありながら音楽家でもあったニーチェ、音楽家で哲学者でもあったワーグナーに対する深い洞察も忘れてはならない。その成果は、1974年に上梓された『ワーグナーとニーチェ』に結実した。日本語訳は早くも1977年に白水社から出版された。
 個人的には、ちくま学芸文庫版(2010年12月初版)を今年の初めに読んだばかりである。優れた音楽家である著者にして初めて、十九世紀の世界的精神支柱として輝いた二つの異才の短くも激しい友情と不幸な離反の本質を世に問うことができた。
 ニーチェの『悦ばしき知識』にはワーグナーとの関係を表した「星の友情」が有名である。「我々は友人であったが、互いに無縁になってしまった」の書き出しで始まり、「私たちは、互いに地上の敵であらざるをえないとしても、私たちの星の友情を信じようではないか」と続けた。評伝作家としてのディースカウは、この二つの巨星の生き様を詳しく調べ上げて語り掛けてくれるのだ。
 今、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの冥福を祈る。1925年生まれ、享年86歳だった。(2012.05.20)

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