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エッセイ・コラム

国会事故調・黒川清委員長の言葉 その2

大平 忠

 報告書を読むと、日本語版の委員長の言葉「はじめに」と、英語版の「Message from the Chairman」の内容が、かなり異なっていることに気がつく。朝河貫一に関するくだりが削除されている他に、日本語版の翻訳ではなく、新たに作成したものであることが分かる。
 相違点の際立つところは、英語版では、事故の原因を「Japanese culture」に起因という点が強調され、日本語版にない表現(注)が多く出てくる。逆に、日本語版にある、長年にわたる一党支配、新卒採用、年功序列、終身雇用、という表現はない。
 何故だろうか。
 黒川氏は、15年間の滞米経験があるという。外国人の考え方を熟知し、報告書をどう受け取るかのイメージも予想して作成したに違いない。一方、報告書で強く言いたいことは、今度の事故の根本原因は、単に特定個人の問題ではなく、日本人すべてに巣食うものであるということだ。
「スリーマイル島事故報告書」では、作業員の個人のミスが原因であり、それを起点に調査追及している。黒川委員長は、それも承知の上、個人に巣食う「日本文化」をあえて強調したのだ。
 英語版が公開されるや、外国特派員協会での会見で、日本版との相違点について、質問が集中したとか。フィナンシャル・タイムズに日本通のジェラルド・カーチス教授が寄稿した。報告書は、具体的責任を追及せず、日本文化に責任をすり替えているのはおかしい、と。米・ブルームバーグ通信の論調も同じであった。
 黒川委員長は、ある席で発言している。具体的詳細な事実の記述で、その時々の責任の所在は自明である。しかし、個別の責任者をどうするかは、国会であり当委員会ではない。
日本人の殆んどの者は、事故の原因が、政官学民癒着の「原子力村」にあったことを察している。日本語版では、その「ありよう」の解体再生を熱く説き、英語版では、日本の「ありよう」の依って来るところを明確に示した。両者共に黒川氏の深い意図が感じ取れ、納得がいった。

(平成24年7月19日)

(注)ingrained conventions of Japanese culture
reflexive obedience; reluctance to question authority; devotion to sticking with the program; groupism; insularity

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