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エッセイ・コラム

奥の院

平尾 富男

 奥の院と言えば、高野山のそれがもっぱら有名である。最後に高野山の奥の院を拝礼したのは、5年も前のことだ。企業人として尊敬していた先輩が亡くなり、その合祀法要に参列したときだった。
 そもそも奥の院とは、辞書によれば「寺社の本堂・本殿より奥にあって、開山祖師の霊像や神霊などを祀った所」とある。転じて、人目に触れない奥深い所という意味が込められて使われることがある。そこから、公然と表現するには憚られる言葉の隠喩としての使われ方も出てきて、なかなか奥ゆかしく面白い。
 東北地方には、平泉中尊寺、毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四寺廻廊」という巡礼コースを構成しているお寺がある。古来より山寺の通称で知られている立石寺だ。薬師如来をご本尊とし、正式な寺号は「宝珠山阿所川院立石寺」(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。
 毛越寺は昨年、そして中尊寺と瑞巌寺は過去に何度も訪れているが、立石寺にお参りするのは今回が始めてとなる。奥の院は山頂近くにあるから、参拝するには1200段という急な階段を登らなくてはならない。最近は足腰が弱くなったと実感しているので、途中で足を踏み外したりすることも恐ろしいし、上り下りした後日の筋肉痛に苦しみたくもない。
 旅行荷物は当日宿泊予定の山形駅前のビジネス・ホテルに預けて、カメラと飲み物だけの軽装で、JR仙山線山形駅から五つ目、その名も山寺駅に向かった。念の為に、登山口近くの土産物店で長さが調整できるアルミ合金製の登山杖を購入する。これを見た同行の友に、憐憫と侮蔑の混じった顔を向けられて苦笑されたのが悔しい。
 この山寺にお参りするご利益は、「悪縁切り」と古くから伝えられている。この説明を受けた友は、「これで悪縁が切れる」と言いたげに顔をこちらに向けてニヤッと笑う。ご利益と言えば、登山口を入って直ぐの参道に面して念仏堂がある。「ころり往生阿弥陀如来」の文字が書かれた大きな板が正面横の柱に掛かっている。「ピンピンと生き、死ぬ時はコロッと逝く」ことができるのだそうだ。当然のごとくお賽銭を奉納して手を合わせる。階段からコロリと落ちることだけは遠慮したいと、それも忘れずに祈願した。
 松尾芭蕉は元禄2年にこの山寺を訪れて、名句「閑さや 巖にしみ入る 蝉の声」を詠んでいる。参道に句碑もあり、芭蕉と弟子の曾良の銅像が鎮座ましていた。この辺りまでは、登山口から平坦な道を進んで直ぐであるが、この先の山門をくぐると急勾配の階段登山参道が始まり、奥の院を目指すには覚悟して休み休み登らねばならない。
 頂上付近で階段が二手に分かれている。左に上がると納経堂、開山堂、そして五大堂に出る。ここからの景色の素晴らしさは以前から知らされていたが、真下に広がる集落とその背景の緑の山々を見て実感した。しばしそよ風に疲れを癒されてから、急な階段を戻って右手の道を登ると参道の終点に、奥の院が爽やかな山の風を受け陽光を浴びて、閑かに存在している。想像していた以上に広い境内を見渡すと、日本三大灯籠に数えられるという巨大な灯籠が見える。
 薄暗く荘厳な高野山とは趣が違って、天空に浮かぶ東北の山寺らしいこじんまりとした「奥の院」である。隠喩で使われる言葉の中身など連想するような下世話な雰囲気は更々にない。

(2012.07.17記)

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