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エッセイ・コラム

“むじな”

浜田 道雄

 ラフカデイオ・ハーンの「怪談」に「狢(むじな)」という作品がある。赤坂紀伊国坂に棲む「むじな」が人を化かした話である。
 雨もよいのある暗い夜、家路を急ぐ一人の男が赤坂の紀伊国坂にさしかかったところ、堀端で泣きじゃくる若い女を見つけて声をかけた。が、男の声に振り向いた娘の顔はのっぺらぼうだった。驚いた男は提灯を放り投げて逃げ、遠くに照る灯りをたよりに夜鳴きそばの屋台にたどり着いて、親父に化け物に出会ったと喘ぎながら訴えた。すると、「そいつはこんな顔ではございませんでしたか」といいながら、突き出した親父の顔ものっぺらぼうだった。
 ハーンはこの話を「もう三十年くらい前に亡くなった人の話」と書いているから、江戸も末期、まもなく明治が始まろうとするころの話だ。夜の繁華街と化した現代の赤坂と違って、そのころの紀伊国坂あたりは紀州藩屋敷などの武家屋敷ばかりだから、夜ともなれば人通りは絶え、鼻をつままれてもわからない暗い道だったようだ。都心とはいえ、“むじな”が棲みつき、人を化かしてもおかしくない、寂しいところだったのだろう。
 わたしの通った高校は、赤坂とは外堀通りを挟んだ丘の上にあったから、赤坂界隈は遊び場の一部で、紀伊国坂あたりも学校を抜け出しては徘徊していた。それだけに、この話も思い出の一つとして懐かしい。

 ところで、深夜でも光があふれ、暗闇などどこにもない現代の東京で、わたしは“むじな”に出会ったことがある。
 先年、高校のある後輩が、代々木参宮橋のそばや「代々木屋」で“むじな”を飼っていると教えてくれた。当時どこかの新聞に、小田急線沿いには狸がたくさん棲んでおり、その分布が都心に向かって拡がっているという記事が出ていた。代々木も参宮橋となれば、神宮の森も近く、かつては「春の小川」も流れていたところだし、狸がそんなに棲んでいるのなら、“むじな”の一匹くらいがいてもおかしくないと思った。
 そこで、さっそく彼と一緒に代々木屋へ“むじな”に会いに行った。美人女将に「“むじな”はどこにいるの?」と尋ねると、女将はキョトンとして、“むじな”ならぬ狸面になる。これはおかしいなと思いながら、なおも尋ねた結果、“むじな”は代々木屋に飼われているのではなくて、「お品書き」のなかに棲んでいた。 一杯食わされた! もちろん、「むじなそば」をもだが。
 この後輩がハーンの作品を承知で、わたしを担いだのかどうかは知らない。だが、同じ高校にいたのだから、紀伊国坂はもちろん知っているはずだ。そんな思いで、彼の話にそっくり乗ってしまったのである。本物の“むじな”は、なんと身近で笑っていたのだった。

 ハーンの「狢(むじな)」は、明治初期の講談を集めた「百物語」にある御山苔松が語った講談話が種本だとされている。しかし、この御山苔松の話では、男を化かしたのは“むじな”ではなくて、“弁慶堀の獺”なのだ。どうしてハーンは、“かわうそ”を“むじな”にしたのか。それはわからない。だが、わたしを担いだ現代の“むじな”は、いま「獺祭」という酒に夢中だ。だから、こんな話はどっちでもいいことかも知れない。

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