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エッセイ・コラム

憂鬱な八月

金京 法一

 二八(にっぱち)という言葉がある。二月と八月は商売が振るわず、安売りなどを行うことをいう。昨今はバーゲンセールも早めとなり、一月と七月がピークとなる傾向の様だが。

 年をとるとともに八月は何となく退屈と憂鬱に苛まれる月のように思えてくる。夏休みを口実に各種会合がほとんど休みである。音楽会も定期演奏会などは全部休みである。用もないのに猛暑の街に出かける気もしない。とかく家にいて無聊に苦しむことになる。熱中症にならないためにも、老人は家にいてエアコンを適切に使って過ごせとテレビや新聞は述べているが、これがなかなか心の負担なのである。

 読書をと思って書物を開いても、視力と理解力が落ちているので、以前のように本の中に入っていけない。

 もっとも手っ取り早い暇つぶしはテレビを見ることであろうが、期待するようには楽しませてくれない。民放は騒々しいコマーシャルとお笑い芸人ばかりが登場して白けさせる。勢いNHKばかりを見るが、これがまた陳腐な番組が多い。おまけに四年に一度はオリンピックである。四チャンネルのうち二チャンネルはオリンピック専門番組と言ってもよく、二十四時間実況やビデオを流し続ける。スポーツ観戦が嫌いというわけではないが、結果の速報とハイライト映像程度で十分である。オリンピックにかまけて通常番組の制作をやめ、スタッフ一同休暇を取っているのではないかと疑いたくなるほどである。ある意味でオリンピックは国民的行事である。国民にできるだけ詳しい競技状況を知らせるべしとの議論もわからぬではない。しかしそれも程度次第ではなかろうか。日ごろ見ている番組を休みにしてオリンピック漬にするのもいかがなものか。

 窓の外を眺めると猛暑の太陽があらゆるものを焼き尽くさんばかりである。宿題を気にしながら遊び呆けた子供のころの夏休みが懐かしい。夏に見放された老人はひたすら暑さをしのいで秋の到来を待つ以外なすすべがないのであろうか。

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