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エッセイ・コラム

『荒野の40年』――西ドイツ・ヴァイツゼッカー大統領の演説

大平 忠

 毎年夏になると、第二次世界大戦、太平洋戦争に関する本を読み、テレビを見る。世界では約6000万、アジアでは約2000万といわれ、日本でも310万という死者を出した人間同士の戦いは、何故起きて何故止められなかったのか、他国の民のみならず戦いが始まるや同胞までも死に追いやることを是とした狂気はどこから生じたのか。人の心の闇を覗いて戦慄するばかりである。
 先日、かつて感銘を受けた『荒野の40年』を引っ張り出して再読した。これは、1985年5月8日、西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの敗戦40周年にあたって連邦議会で行った演説を翻訳したものである。当時、この演説の反響は、国内外にわたってたいへん大きいものであったという。

 ヴァイツゼッカー大統領は、ドイツ人の心の奥底に訴えるように語る。悲惨な所業に対する深い悔恨、死者に対する自責と鎮魂の祈りが重く語られる。これらの戦いの口火を切った国の一員としては、一つ一つの言葉が心に響きうずくような痛みが湧く。
「我々にとっての5月8日とは、何よりもまず人々が嘗めた辛酸を心に刻む日であり、同時に我々の歴史の歩みに思いをこらす日でもあります」
 演説を翻訳した永井清彦の注によれば、原語のErinnerungの言葉の中に、大統領は、inner「内面の」というニュアンスを重視して、単に「思い出す」でもなく、「内面化する」「血と肉とする」という深い思いをこめているという。

「大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました。ところが、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった……」  大抵の日本人も大抵のドイツ人と同じく大東亜戦争の大義を信じていた。章句後半の「犯罪的な指導者云々」の箇所は、日本では異なっていた。ドイツでは、第一次大戦後のあまりの疲弊からヒットラーの誕生を許した。日本では逆に、第一次大戦により好景気に恵まれた。しかし、その反動の不景気と次いで襲った世界恐慌を脱するためという口実で大陸侵略に向かった。陸海軍官僚たちの世界の潮流に対する感覚を欠いた視野狭窄の責任も重大だが、日露戦争以後から連綿として国民全体に驕りが生じていたことも否めない事実であったと思う。

「心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、我々が真実を求めることが大いに必要とされます」
 これに続いて、ある出来事とはなにかが具体的に語られる。
「……強制収容所で命を奪われた6百万人のユダヤ人……ソ連・ポーランドの無数の死者……虐殺されたシインティ、ロマ(ジプシーの自称)……殺された同性愛の人々……殺害された精神病患者……宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人々……銃殺された人質……ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者……ドイツ人としては、兵士として倒れた同胞、故郷の空襲で、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞……市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者……はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいています……」

 一国の元首が、自国の犯した罪状(他国の人ばかりでなく、同胞に対しても)を、ここまで詳細に述べることがあるであろうか。真実から目をそらさず、全国民に対してこれらを心に刻めと訴えている。ずしりとした言葉である。日本では、1995年の敗戦50年を記念して『村山談話』が発表された。10年前のヴァイツゼッカー大統領の演説と主旨は同じであり、歴史の区切りとして評価すべき談話であったと思う。ただし、過去の事実については抽象的表現に留まり、「深く反省する」気持の深みが、ヴァイツゼッカー演説と比べて自らを切り刻む痛さの点で及んでいない。『村山談話』の10年前に、『荒野の40年』が既にあって、その評価が国内外で高かったことを、どこまで学んでいたのであろうか。

「罪の有無、老若いずれを問わず、我々全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。……過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」
 戦争が終わった後に生まれた者も、先人の負の遺産を背負わねばならないと説いている。それは何故か。
「かって敵側だった人々が和解しようという気になるには、どれほど自分に打ち克たねばならなかったか――このことを忘れて5月8日を思い浮かべることは我々には許されません。ワルシャワのゲットーで、そしてチェコのリジイツエ村で虐殺された犠牲者たち――我々は本当にその親族の気持になれるものでありましょうか」

 日本では、自虐史観はそろそろいいではないかという気分が行き渡っている。しかし、ヴァイツゼッカー大統領の説くように、自国の犯した罪を、具体的にどこまで心に刻んで思い浮かべられるであろうか。私自身反省しなければならないと思う。中国大陸、朝鮮半島を始めとして、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシアその他の国々で、大東亜共栄圏の名の下に、日本人が他国の人々の命を奪い、日常生活を踏みにじり、誇りを傷つけたことは紛れもない事実である。捕虜として抑留した他国の兵士たちへの扱いも日露戦争当時の世界から称賛されたものとは異なった。

 しかし、年に1度、8月15日には、目をそむけたいかつての日本人の所業を、我々は、目を開けて見つめ、噛みしめなければなるまい。終戦の日の式典は、第二次大戦の口火を切った国としては、他国の人々への頭を下げる思いから始め、次いで亡くなった約310万の同胞への鎮魂の祈りへという順序でなければならない。これは、未来永劫厳然として変わらない順序である。
 東京大空襲に代表される無辜の民に対して行われた無差別攻撃、都市の全住民を一瞬にして地獄へ追いやった原爆投下は、永遠に許される所業では決してない。しかし、これらを招いたのは我々自身であった。我々の心の中の自覚なき驕りが招いたのであった。我々の平和への願いの底には、悔恨と自責の痛みが潜んでいる。

「人間は何をしかねないのか――これを我々は自らの歴史から学びます。でありますから、我々は今や別種の、よりよい人間になったなどと思いあがってはなりません」
ヴァイゼッカー大統領は、過去の真実を直視して説くが故にこれらの言葉にも説得力がある。自らを楽観して見てはいけないと、人間には狂気が存在する恐ろしさと悲しさを述べている。人間をどう見るか、国の安全保障の原点かもしれない。
「自由を尊重しよう。平和のために尽力しよう。公正をよりどころにしよう。正義については内面の規範に従おう。
今日5月8日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか」

 今年の8月15日は、我が国の67回目の敗戦記念日である。ヴァイツゼッカー大統領に倣って、我が国の先人が何をなしたか、同時に他国の人々が、我々の祖父母や父母たちがいかに辛酸を嘗めたかを、心に刻みたいと思う。これはまた、太平洋戦争で亡くなった兵士・市民、同胞310万の人々に対する鎮魂のためにも不可欠であろう。

 なお、「荒野の40年」の表題は、旧約聖書から引用しているものであり、大統領は演説の中で次のように言及している。
「イスラエルの民は約束の地に入るまで、40年間荒れ野に留まっていなくてはなりませんでした(申命記・民数記)。しかし、ほかのところ(士師記)では、かつて身に受けた助け、救いは往々にして40年の間しか心に刻んでおけなかった、と記されております。心に刻んでおくことがなくなったとき、太平は終わりを告げたのです」
 原発災害も、ある見方をすれば、「心に刻んでおくこと」を忘れてしまった我々自身が招いた惨事であったといえる。
 67年前の8月15日に到った歴史を、自分なりに「心に刻んでおきたい」と思う。

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