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エッセイ・コラム

ヴァイオリンの謎

野瀬 隆平

 国際的に活躍している女流ヴァイオリニスト、堀米ゆず子さんが所有するガルネリの名器が、フランクフルト空港の税関で押収されるというニュースがあった。輸入税を支払った証明書や、このヴァイオリンの由来を示す書類を持っていなかったのがその理由だと言われている。8月中旬のことである。
 現役時代に海外出張で、しばしば税関で嫌がらせを受け、暗に賄賂を要求された不愉快な出来事を想い出していた。幸い、この楽器は税金も払わずに、持ち主の手元に戻ることになったが、民主的な先進国、ドイツで何故こんなことが起こったのかと疑問を持ち続けていた。

 そんな時、友人のBさんからNYタイムズに掲載されたある記事を紹介された。“A Violin Once Owned by Goebbels Keeps Its Secrets” と題するものだ。戦前のこと、これも海外で活躍していた女流ヴァイオリニスト、諏訪根自子さんにまつわる話である。ナチスの宣伝大臣であったゲッベルスから、当時23歳であった彼女にストラディヴァリウスの名器が贈呈されたことから話が始まっている。ドイツ駐箚の大島大使も同席する中で、ゲッベルスがこの若くて美しい女性にヴァイオリンを手渡す写真が掲げてある。
 戦争で世界中が混乱する中、彼女は命を懸けてこのヴァイオリンを守り通し、アメリカ経由で日本に持ち帰った。
 さて問題は、ゲッベルスがこのヴァイオリンをどのようにして手に入れたかである。元の持ち主から正当な手段で買い取ったものか、あるいはナチの権力を乱用して不当に奪ったものかであるが、未だに謎に包まれたままだ。

 この記事を読んで、フランクフルトで押さえられたヴァイオリンの話が頭に浮かんだ。これら二つの名器は別物で何の関係もないのであるが、ドイツが古いヴァイオリンの名器にこだわりを持っている理由が何となく分かったような気がした。

 ところで、NYタイムズに記事が出た数日後に、日本の新聞に囲み記事が掲載された。諏訪根自子さんの死に関するもので、3月に93歳で亡くなっていたことを伝えるとともに、ゲッベルスから名器を譲られたエピソードも紹介している。明らかに、NYタイムズの記事を見て書いたものであろう。

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