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エッセイ・コラム

碁笥(ごけ)の嫁入り

西田 昭良

 昔、ゴルフに夢中だった頃、もっと上手くなるためには、どうしたらいい、と同僚のシングル・プレイヤーに訊いてみた。すると彼は答えた。
「練習も然ることながら、ゴルフをこよなく愛することよ」
「愛するって、具体的には?」
「愛するは、愛でること。つまり、恋人のように、触って、撫でて、抱いて、ってことさ」
 彼は毎日、出勤前にゴルフ・クラブを触り、撫で、よく磨いてから空振りを数回重ねる。するとクラブは、アリガトウ、今度も必ず真っ直ぐ球が飛ぶようにするからね、と応えてくれるそうだ。
 いい話だ。さっそく彼の真似をしてみた。しかし一向に上達しなかったのは、私の愛情不足か、或いは素質の無さか。両方だろう。
 さて、加齢と病でゴルフも出来なくなった昨今、代わりに碁会所へ日参するようになった。しかしここでも昔のゴルフに似て、少しもザル(下手な碁打ち)の目は塞がらない。
 或る日、近くの集会所で地区老人会主催の『趣味の作品展』を覗いてみた。するとその中に目をみはるような作品を発見。何故こんな所に、というセリフは呑み込みんで、思わず、
「美しい、ほんとに素晴らしい。こんなのが欲しいな」
 と、生来の賤しい根性からか、つたない言葉を口走ってしまった。それは見事と言うほかにない鎌倉彫の碁笥(碁石を入れる器)である。まるで正倉院から抜け出してきたかのような逸品であった。すると、
「よろしかったら、どうぞ貰ってやってくださいな」
 と横合いから、真綿のようにふくよかな女性の声。思わず振り向いた。声の持ち主は偶然にもそこに居合わせた作者だった。
「嫁入り先が見つかって、よかったわ」
 彼女はほっとした表情を見せた。まさか、御冗談でしょ、からかわないでください、と言ったが、言葉を交わしているうちにそれが彼女の本心であることが判った。
 ではお言葉に甘えて、とざっくばらんに結納金について切り出すと、お気持だけで結構、とトントン拍子に話は纏まり、展示会終了後にめでたく我が家に嫁いでくれることと相成った次第である。
 作者は八十を越えているであろう気品のある媼。今はもう彫れないが、若い頃の作品を色添えに出展してみた、と控えめに言う。
 材質は桂。本体の器の一つには、力強い桜の幹が湾曲に伸び、蓋には、幾輪もの花弁が、細かい蕊(しべ)までも詳細に彫られている。もう一つには、垂直に伸びた楓の太い幹が小枝を着け、蓋には、何枚もの葉が美しく宙を舞っている。
木地屋(器のくり抜き)や塗師(ぬし)の手は借りたと言われるが、見事な腕前の彫はご本人。艶やかな鎌倉彫特有の色合いは、時を重ねた深く、重厚な光沢。尾形光琳を彷彿させる逸品に、私は完全に魅了されたのだった。
 週に二、三度はこの美しい逸品を磨き、愛でながら、名局の棋譜を並べて楽しむようになった。心なしか、最近、半目(ほんのわずか)くらいは強くなったような気がするのだが、それは錯覚か、それとも秀逸な碁笥の神通力か。多分両方だろう。

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