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エッセイ・コラム

カレンダー

濱田 優(ゆたか)

 天高く馬肥ゆる頃、カレンダーは痩せてくる。
 昔懐かしい「日めくり」だとそれが痩せ細る感じが実感できる。今うちで使っている2ケ月連記のカレンダーでは見た目その変化は顕著ではないが、それでもまだ暑いのに9月1日になるとあと2枚、東京の紅葉はこれからという11月1日にはたった1枚になって、年の終わりが近づいたことを意識させられる。まだやるべきことが数多く残っているのに……。
 その日から年賀はがきが売り出され、街を歩けば早やクリスマス用品が店頭に並ぶ。追っかけクリスマスソングも流れはじめ、年寄りは季節の違和感にとまどう。
 しかしそんな旧人の体感に構うことなく、実際の歳末商戦はすでに始まっており、デパートは早々に商品カタログを送ってお歳暮の注文を受付けている。ある居酒屋は10月の端から忘年会の予約を取りはじめていると聞いて驚いた。私の現役のころより一月は早い。デパートも居酒屋もライバルに先を越されたらお客を失うから必死なのだろう。
 その気持はわかるけれど行き過ぎは困る。お歳暮の案内に同封されてきたおせち料理のチラシを取っておき、正月に来る子ども達の予定が決まってから注文したら、12月の初めなのにすでに売れ筋のセットは売切れで残り物しかなかった。売手同士の競争であまり早売りされても、お客には不都合な場合もあるのだ。

 年が明けて元日の朝、真新しいカレンダーを眺めると自然気持ちがリフレッシュされ、怠惰な私も人並みに「一年の計」を考えたりする。今年こそ生活習慣を改めメタボを解消しよう。やるべきことを先延ばししない、ことに提出する作品は期限前に余裕を持って書き上げよう。去年目標に掲げながら未達だったことは今年こそやり遂げようなどなどと、これもまた新しい手帳に書き込む。
 時は流れて過ぎ去るが、時季は毎年巡ってくる。そこで年初を一年の区切りとしてリセットし、気持ちも新たに再出発できると考える慣習は素晴らしい生活の知恵だと思う。
「年年歳歳花相似たり」と感嘆しながら四季の移ろいを楽しみ、節分、節句などの伝統行事とバレンタインデー、ホワイトデー、母の日、さらにおまけの父の日などのギフトの日の商魂を乗せて暦は回る。そのうち気づくと夏は過ぎて秋に入り、カレンダーの残りが少なくなったのに、年初の誓い半分も達成していないことを思い知って愕然とする。遅れを取り戻そうと試みるものの、それは無理とすぐ諦めて、自分に甘い私は来年に課題を持ち越す。
 その繰り返しのうちに「歳々年々人同じからず」となることは分かっているのだが。

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