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エッセイ・コラム

二つの国の狭間で

平尾 富男

 フランスの小説家、アルベール・カミユの『異邦人』と『ペスト』を読んだのは大学受験勉強中の頃だった。『異邦人』の「不条理」と実存主義思想の乾いた世界に初めて触れた時の胸騒ぎを覚えている。
「今日、ママンが死んだ」で始まり、棺に納められた母親に顔も見せず、葬儀を済ませた翌日に女友達と一夜を過ごし、挙句の果てにはアラブ人との争いに巻き込まれ、朦朧とした意識の中で相手を殺してしまう。裁判所の中で、殺人の理由を「灼熱の太陽のせい」と供述して死刑になる男の物語だ。
 映画化されたのはフランス映画ではない。ルキノ・ヴィスコンティ監督がマルチェロ・マストロヤンニを主人公のムルソウー役に据えて、1967年に制作したイタリア映画。映画を見たのは社会人になって数年してからだった。
 カミュ自身は仏領アルジェリアにフランス人の父とアルジェリア人の母親との間に生まれた。父親を幼いときに亡くしたために、貧しい母子家庭に育ったが、頭脳の優秀さを認められ周囲の支援を得て、アルジェ大学を卒業できた。明るい地中海に面しながらも内陸の奥地には広大な砂漠が控えているアフリカ特有の灼熱の太陽と乾燥し切った空気の中で育った。将に『異邦人』の舞台にもなった世界である。
 1960年にパリ近郊で自動車事故に遭遇して亡くなったときに、『最初の人間』という未完の自伝的小説が放り出された鞄の中に遺されていた。34年後の1994年に出版され、2013年に生誕100年を迎えることを記念して製作された同名の映画『最初の人間』(Le Premier Homme)が日本でも公開された。
 友人に誘われ岩波ホールに出掛け、この映画を観た一週間後に、アルジェリアでの悲惨な日本人殺害のテロ事件が起こった。題名の意味は、映画を観る前には皆目検討が付かなかったが、未完作品ということもあって、映画鑑賞後も理解に苦しんだ。同行した友人とお茶を飲みながら感想を話し合ったが、結論はフランス人とアルジェリア人の血が流れるカミュ自身の置かれた立場から、平和裏に紛争を解決する方法を模索し続けた「最初の人間」の悩める魂を表現したかったのだろうという結論に達したのだが……。
 47歳で早世したノーベル文学賞作家の晩年は、フランスでの生活が長かった。『異邦人』発表(1942年)の時は第二次世界大戦が起こっていて、自由フランスのシャルル・ド・ゴールがパリ解放までアルジェに「自由フランス」の本部を置いていた。
 アルジェリアでは、大戦終了以降も長く激しい独立運動(1954年~1962年)、世に言う「アルジェリア戦争」が起こり、その後に国家として独立を達成しながらも、クーデターを繰り返して国内事情は悲惨なものであった。
 アルジェリア生まれの作家は、出自の証と活躍の場を求めてフランスで後半生を過ごした。映画『最初の人間』の冒頭は、ブルターニュの仏軍墓地に父の墓参をする主人公の姿。その直ぐ後にアルジェ空港に降り立ち、母を訪ねるシーンが続く。
 日揮の事件発生以来、余り詳しくないアルジェリア情勢に想いを馳せる機会が多くなった。そこへ飛び込んできたのが、岩波ホールの総支配人として内外の名画を日本に紹介、映画を通して国際交流に努めた文化功労者の高野悦子さん死去の知らせだった。2月9日、83歳だった。先に記した『最初の人間』も、現在岩波ホールで上映されている『八月の鯨』(The Whales of August)も高野さんが選んで上映を決めたもの。高野さんを悼むためにも『八月の鯨』を観に行かねばらない。
 蛇足だが、映画にはベティー・デイヴィス、リリアン・ギッシュ、ヴィンセント・プライスが出演した。1987年カンヌ国際映画祭特別賞(リリアン・ギッシュ)、87年全米映画批評家委員会賞最優秀女優賞。

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