作品の閲覧

エッセイ・コラム

山陽道紀行「父子マラソン」

池田 隆

 長崎から小倉までの旧長崎街道を歩き終え、山陽道に入り、五日目となる。基本的には一人旅だが、今日からの三日間は息子と私の二人旅となる。
 山陽本線・小郡の東隣、四辻駅からの出発だ。旧山陽道の大略のルートを書き入れておいた五万分の一の地図を息子に渡し、実際の道選びは彼に任せる。今日一日は出来るだけ彼の後をついて行こう。
 旧山陽道や山陽本線に平行して、新しいサイクリング道路が出来ている。その道を無条件に選び、歩き始める。
 薄日の射す好天である。風も背中から軽く押してくれる。道は行く方向に遠くまで続くが、サイクリングの自転車にも出会わない。歩いている人も見かけない。爽やかな田園の空気の感触を楽しみながら、父子二人だけの世界となる。数歩先を快調に歩く息子を後ろから見ていると、私は二〇年前に、急にタイム・スリップしたような錯覚に襲われた。

 息子が小学三年から四年生にかけての頃に、父子二人だけの日本横断マラソンを試みた。東京の世田谷区に在った自宅から、とにかく北へ北へと走る計画を立てた。今回の旧街道歩きも、その時のアイデアを踏襲している。すなわち、何度かに時を挿み、継ぎ足しながら走るのである。前回の終点までは、車や電車で行き、其処から出発し、一日に平均数時間走った後に、また車か電車を使って家に帰って来る。天気の良い日曜日を選んでは、十回ほど繰り返した。
 一回目が自宅から松蔭神社を抜けて、高円寺駅まで。二回目が高円寺駅から豊島園の横を通り、笹目橋まで。三回目は荒川の土手に沿って治水橋まで、と続けていった。
 しかし当然ながら、だんだんと自宅から遠くなり、車や電車を使っても、日帰りの往復が困難になってくる。くわえて、息子が五年生になり、少年野球チームに入団する。その定例練習日が日曜日の朝であったために、いつしか父子マラソンの方は赤城山北麓の老神温泉まで行ったところで、立ち消えた。
 当時のわが家族は、朝食前に自宅の在るブロックを五周、距離にして約一五〇〇メートルを走ることを子供の日課と決めていた。私も出来るかぎり一緒に走ったり、タイムを計ったりしていた。もっとも娘たちには不評であったようで、「パパが怖いので、しぶしぶ従っていたのよ」と、大人になってから本音を洩らしていた。
 一方、息子の方は「歩くより、走る方が早くて好きだ」と云っては、普段から元気良く走り回っていた。朝の日課も苦ではなかったようだ。それだけに、身体は小さかったが、体力はついており、三〇代後半の私と走力、持久力がほぼ同じか、やや私を上回っていた。
 私は若い父親として、小学生が塾通いで知育偏重になることを、嫌っていた。息子に対して、父子マラソンで、体力をつけるだけでなく、実物の街、川、畑、山に触れながら、父親自身の手で息子に生きた知識や知恵を教えようと、意気込んでいた。
 いま、その時の光景が周りに見える旧山陽道の景色を打ち消すように、私の脳裡に次々と現れてくる。

 武蔵水路の上で東京水飢饉の時の事を彼に話したこと。その近くの荒川土手でママへの土産にしようと野生のからし菜を二人で必死に摘んだこと。太田市近くの野原で沢山の花をつけた片栗の群生に感激したこと。渡良瀬川で山火事の消火に向うヘリコプターが頭上を舞っていたこと。夕刻に赤城山中で道を失い、無人の炭焼き小屋に泊ろうかと提案した時に彼が怖じ気づいたこと、等々。

 父子マラソンの成果が本当に有ったか否かを、今、前を歩く彼に聞いてみたくもあるが、意識下の事であり、簡単には答えられないであろう。私としては、「有った」と思いたいが、…。
 確かに言えることは、父子の精神的な結びつきが、この頃から一層強まったことである。多分、彼も子供の頃、親父と一緒に走ったことを思い浮かべながら歩いているのではなかろうか。
 しかし、二人ともその時のことを何故か口には出さず、真っ直ぐな道にピッチを上げる。ただ、引きつづき私の頭は、息子や娘と歩んで来た父親としての前半生の思い出に占拠される。

 父子マラソン後、息子の成長過程で、反抗期、挫折、自我の目覚め等々、精神的に揺れ動くことはあったが、根底には父子の信頼感が存在していた。
 その時、その時の息子の学習レベルについていくために、中学、高校、大学と順を追って、私自身も学生時代に得た知識をひそかに復習していた。またスキーなどの若者スポーツを十数年ぶりにやり直した。
 私本人は自分の子供たちと一緒に勉強したり、遊んだりすることが大好きであった。自分自身が楽しめるから、長く続けられたとも言える。
 いま振り返ると、息子や娘のおかげで、一回の人生で二度にわたって、学生時代を楽しめた。さらに、その時期に改めて復習した歴史、地理、理科、工学、哲学などの知識は、この歩き旅にも豊かな楽しみを加えてくれる。その時は、ただ子ども可愛さから始めたが、後々、自分自身にかかる効用が出てくることまでは期待しなかった。
 今回も、息子に一緒に歩こうと、強く誘ったわけでもないが、一家を構えている彼が、わざわざ同行してくれた。これは私への彼からの心のこもったゴールデンウィークのプレゼントなのだろう。有り難く頂こう。

(後記) この旅日記を書いた時から、すでに十五年ちかくが経過した。今では父親となった彼が自分の息子と二人で遠くまでサイクリングなどによく出かけている。彼らの話を聞くと、またしても嬉しさが込み上げてきた。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧