騒音は怖い!
長年利用している小田急線の世田谷代田から東北沢までが地下に潜った。
筆者はその中間の下北沢を使う。地上の線路、踏み切り、駅などをカメラに収めて見納めたのが3月22日の夕刻。電車は、いつものとおり、ひっきりなしに線路を賑わしていた。それが、23日未明、終電から始発までの数時間に、あっという間に『地下鉄』に変貌したのだ。
壮大な工事は、仮設の壁の中で、さしたる騒音もなく十年ほど粛々と進められていた。地下化した線路は、近い将来、上下二本にわかれ、特急や急行用とそれ以外のに種分けされるというが、その頃筆者は千の風になり、なにせ地下だから、覗くこともかなわないかもしれない。
好奇心旺盛な筆者は、23日の朝、用もないのにシモキタから東北沢まで試乗してみた。新しい駅は仮の姿で、改札口から三階下のプラットフォームへは、途中で一休みしないと心臓に支障をきたすような長く急な階段と、細いエスカレーターを乗り継いでおりる。
プラットフォームは前後二箇所のエスカレーターからはきだされるお客さんで入り乱れる。どの辺で電車を待つか、右往左往するのだ
いたるところに警備員が立ち、大声で誘導する。電車発着のアナウンスが飛び交う。ハチャメチャで、なにがなんだか分からず、耳を塞ぎたい気分だ。
なんとか電車に乗り、高齢者向けの席で、スマホなどに没頭する若者たちの間に辛うじてお尻を捻りこんでほっと一息つくと、今度は車内アナウンスでかきまわされる。なぜか女声と男声のアナウンスがひっきりなしに続くから堪らない。音声が過度に大きい。英語も混じる。堪らない。
著書『うるさい日本の私』の著者で哲学者の中島義道さんが、新聞で、
路上や電車内での拡声器による過度のアナウンスや、看板標語による善行の押し付けを批判していた(註)。
その流れで曰く、「…日本は良いと思われる方向にみんな一斉に向かってしまう。自発的に言論統一している。みずからが何が善か何が悪かを見極めようとせず、どんな悪でもいったん良いこととされると、それに対して疑いをもたない、文化・科学の水準は高いが、社会を成り立たせている大枠を突くと狂気に陥らざるをえない…」。音や看板での過度な押し付け。
アベノミックスはどうだろうか、小田急線で今日も騒音に困惑しながら、こんなことを思い出していた。(註)2013年4月20日付東京新聞記事。