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エッセイ・コラム

花どき、岐阜に集う

濱田 優(ゆたか)

 4月の端、日帰りで岐阜に行った。今日日新幹線「のぞみ」をつかえば東京から2時間あまりで着くから、川越の先に住む娘の家に行くのと大差ない。
 岐阜には一度長良川の鵜飼を見に行ったことがある。といっても、いつごろだったが思い出せないほど遠い昔のことだ。
 その日の用向きは、昔の会社仲間の集まりに出席することだった。97歳になられてもなお達者なボスを囲む会。それは、彼が2年前に故郷に戻るまで、東京で毎年開かれ、私の欠かせない年中行事の一つになっていた。その集まりがなくなると、カレンダーのヘソが消えたようで頼りない。
 そこにこのたび、御大のお膝元で「囲む会」を開くという知らせが届いたものだから、他事を差し置いて駆けつけることにした。先約を反故にされた家人の機嫌を損ねたけれど、あとで償うことで勘弁してもらう。他の人も多くは同じ思いらしく、2年振りの集いに顔を揃えた20人ほどの大半は東京組だった。
 この日集まった仲間と机を並べたのは四十数年前。私は本社ではまだ若手で樹脂事業の企画業務を担当していた。世にいう企業戦士の端くれで、ご多分に洩れず家庭を省みること少なく、会社にどっぷり浸かっていた。
 といってもその頃の会社は、今主流とされるアメリカ型の株主主権の組織と違い、良くも悪くも日本的な経営の共同体だった。そこで共同体意識を共有した私たちは、会社を離れても故郷のようにいつまでも懐かしむ。公私にわたる悲喜こもごもの思い出を語りはじめると、つい夢中になり、時間が経つのを忘れてしまうのだ。
 岐阜の桜は東京より遅くちょうど見ごろだった。すこぶるお元気なボスは頭もシャープで関心事を熱く語る。そのご様子を見ると、今回が最後の集まりか、という危惧の念は薄れ、予て唱えていた白寿のお祝いが現実味を帯びてきた。会の終盤はみんなその気なり、2年後の祝賀パーティーに思いを馳せて盛り上がった。
 囲む会はいわば昔の部落共同体に付きものの祭りのようなもの、来年も再来年も欠けることなく花時に集まりたい。
 東京に戻ったのは黄昏時、桜はあらかた散って侘しさが漂っていた。しかしまた、毎年花は咲く。

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