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エッセイ・コラム

秘めたる疑問

西田 昭良

「戦後、ギリシャで食糧事情が悪化した時、男子の乳房の肥大がよく見られた」
 これは、農薬被害と環境破壊を告発するものとして、1962年アメリカで出版され、今も世界に多くの読者を持っているレイチェル・カーソンの『沈黙の春』の一節である。
 栄養失調とビタミン不足によって、ホルモンのバランスを調節する肝臓の機能が低下し、エストロゲンという女性ホルモンが異常に増えて、この現象が起る、とカーソンは付け加えている。
 このくだりを読んだ時、私の脳裏で長らく眠っていた或る記憶が急に目を覚ました。
 あの忌まわしい戦争が終わったのは1945年、小学五年生。六年生になっても、敗戦の混乱と食糧難は日本全土に大きな渦を巻いていた。

 丁度その頃、身体に異常現象が起きたのは私一人だけではなかった。どうした理由(わけ)か、男だというのに、米粒ほどの小さな乳首が硬くはれあがり、その周囲の浅黒い部分が小梅のように隆起したのである。ちょっとでも触られると、飛び上がるほど痛いのだ。体操の時間でも、遊んでいる時でも、誰とも接触しないように両肘を堅く突っ張って、常に胸をガードしたものだった。こんな状態が一ヶ月以上も続いた。
 親にも先生にも相談できず、同病の仲間うちだけで密かに見せ合って、悩んだものである。
 戦後のギリシャの食糧事情が如何ほどのものであったか具体的には分からないが、当時の敗戦国日本の食糧難はギリシャ以上であったことは想像に難くない。とすると、集団疎開に行き、骨皮筋衛門に改名されて帰って来た児童たちだけに起きたこの肉体的異変は、もしやカーソンの言う栄養失調とビタミン不足が原因ではなかったのか。縁故疎開で五体満足で帰って来た児童たちには、この現象は起らなかったのである。
 この疑問がカーソン説の日本版だったのか、或いは単なる「春の目覚め」の前兆だったのか、未だに解からない。
 カーソンは五十六才という若さであの世に発ってしまった。私はとうに彼女の享年を越えている。逢う日も近い。その時には、私が体験した珍現象の真相を是非とも訊いてみたいと思っている。それにしても、もっと英語を勉強しておくんだった、という後悔が残ってはいるが。

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