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エッセイ・コラム

傘寿の快挙:

西川 武彦

 雄一郎さんが80歳でエベレストに登った。70、75歳と五歳刻みで登頂して、ついに傘寿でもやりとげたのだ。
 三浦雄一郎さんと知り合ったのは今から30年近く前、ススキ野の飲み屋であった。筆者は当時JALの札幌支店にいて、仕事柄、毎晩のように飲み歩いていた時代である。
 なぜか気安い飲み友達になり、人の輪の繋がりでそれ以降、深くはないが長くお付き合いさせて頂いている。
 奥様ともども北大の獣医学部の出身だ。豪快な奥様で、雄一郎さんの大活躍をしっかり支えている。
 三浦さんの本拠地は北海道の手稲スキー場だ。筆者も何度か雄一郎さんと同じコースを滑った記憶がある。
 これから5年後、なにが起きるかわからないが、雄一郎さんなら85歳でまた挑戦するような予感がある。

 数日前、シモキタの商店街に買い物に出かけた。坂道を下りていくと、十メートルほど先の、商店街にほど近い家の玄関の石段に、80歳くらいと見受けられる爺様が腰掛けていた。なぜか筆者をじっと見つめている。
 知り合いではない。買い物袋と傘を横に侍らせている。太めだが顔色はつやつやしている。さらに近づくと、すがるような目つきで、懇願された。
「すみませんが、手を貸していただけませんか?」
 はたと気が付いた。立てないのだ。買い物して坂道を戻る途中で息が切れたのだろう。石段に腰をかけたのはよいが、いざ立ち上がろうとしたものの、身体を持ち上げる力がない。傘に頼って腰を浮かせるものの、途中で力尽きて逆戻り。人通りは少ない。そこに通りかかったのが76歳の爺様だったのだ。ひょっとしたら尿意をもよおしていたのかもしれない。
 じっと見つめられた76歳が、やおら利き腕の左手を差し伸べると、すがるようにぎゅっと握られた。太い指の大きな手で、凄い握力だ。体重60キロの筆者は思わず前によろめく。80歳もなんとか立ち上がろうと踏ん張る。老々介護の感じがしないでもない。とにかくやっと引き上げると、丁重にお礼をしたあと爺様は坂道を登っていった。

 人生いろいろな80歳があるものだ。そういう筆者もあと四年で傘寿を迎える。その頃には、お天気のいかんにかかわらず頑丈な「傘」を頼りに歩くような予感が頭を掠めた。

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