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エッセイ・コラム

讃岐の「うどん」

野瀬 隆平

 昼食を家でとるときは、鍋焼きうどんを自分で作ることにしている。
 うどんは、茹でたものを一食分ずつパックしてある冷凍ものだ。「さぬきうどん」と表示されている。スーパーでまとめて買って、いつも冷凍庫に入れてある。つゆは、さすがに自分で出汁をとるのは億劫だから、市販の出汁の元を使う。昆布味の薄口で満足している。具は竹輪か、さつま揚げ、それに冷蔵庫で眠っている野菜を適当に加える。10分もかからずに、一丁上がりだ。

 ところで、先日、四国へ旅をした。瀬戸内海の直島をへて、琴平に入る。うどんで名高い讃岐だ。折角来たのだから、旨いうどんを食べたい。旅館でお勧めの店について色々と尋ねる。それも、かなりしつこく。

 というのも、かつて高松でこんな経験をしたからだ。ホテルが教えてくれたうどん屋は、歩いて15分ほどの所にあった。やっとたどり着くと、店の外にまで行列ができている。「これは期待できそうだ」と中に入ると、店の中でも人の列が。並ぶこと数分、やっと自分の番が来た。カウンターの窓口越しに、おばちゃんが「何を食べますか」と聞く。「きつねうどん」と答える。おばちゃんは、すでに茹でて並べてある「うどん玉」をざるに入れて、湯の入った鍋で、チャッチャッと湯がく。さっとどんぶりに放り込むと、油揚げをのせて汁をかける。まるで、駅の立ち食いソバだ。
 いつ茹でたのだろうか。うどんは伸びているし、汁にも風味がない。これが、かの名高い「讃岐うどん」か、とがっかりした。高松だけではなかった。丸亀でも同じだった。茹でて置いてあるうどん玉を湯がくだけだ。これでは本当のうどんの旨みが味わえるわけがない。讃岐の方々の名誉のために言うと、打ちたてのうどんをその場で茹でて、すぐに客に供する本物のうどん屋もあるのだろうが、観光客が簡単に行ける市内には、どうもそのような店は無いようだ。

 こんな苦い経験があったので、今回は琴平で時間もたっぷりあるし、何としてでも旨いうどんに巡り会いたい。そう願って、旅館の人にこれまでの体験を話し、出来立ての讃岐うどんが食べられる店を聞き出そうとしたのである。

 旅館で教えられたうどん屋は、金比羅さんからは少々距離がある。ひたすら、店を目指して歩き続けた。我ながら、その執念に半ばあきれながら……。途中、何軒かのうどん屋をやり過ごした。ここもおいしいのでは、と迷いながらも、そこで食べてしまったら、腹は一つ、お目あての店で食べられなくなる。
 やっと、たどりついた店。客席からガラス張りの窓越しに調理場をのぞくと、大きな釜に湯がたっぷり、中でうどんが泳いでいる。ここならば良かろうと判断して席に着く。それでもまだ心配なので、
「茹でたてのうどんが出るのですね」と念を押す。
 そうだと言うので、「ざる」を頼んだ。
 待たされると思いきや、なんと30秒も経たないうちに、「はいどうぞ」と目の前にうどんが現れた。茹で置いてあったうどん玉を、ざるに乗っけただけの代物だ。はるばる尋ね歩いて来たのにと、腹立たしいい気持ちを抑えながら、うどんを口にする。意外と歯ごたえはある。繁盛している店だけに、茹でてからあまり時間がたっていないのだろう。何とも後味の悪い気分で店を出て、同じ道を戻る。来るときに目をつけていた、もう一軒の店がどうしても気になり、寄ってみることにした。お腹はもう一杯だが、意地でも旨いうどん屋を探し当てたい。
 その小さな店でも、中を覗くと釜に湯がたぎっている。「注文を聞いてから茹でます」という亭主の言葉に安心して、また「ざる」を注文する。
 確かに今回は待たされた。
 出てきたのは少し細めのうどんだ。一箸口に入れてびっくり。くたくたに茹でられているではないか。全く歯ごたえが無い。麺の硬さには、好みがあるとはいえ、どう考えてもこれは茹で過ぎだ。途中まで食べて、店の亭主に「実は他の店でも食べてきたので……」と食べ残しの弁解をして店を出た。

 うどん一杯といえども、満足のゆく店を探し当てるのはまことに難しいものだ。家で作るうどんの方が、心安らかに食すことが出来る。「うどんは、冷凍の讃岐に限る」のか。

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