1955年
ジョン・スタインベック原作の『エデンの東』(”East of Eden”)が映画化されたのは1955年。この映画が初出演となるジェームス・ディーンを主役に抜擢して大ヒットした。日本では映画が公開されて以来、レナード・ローゼンマン作曲のテーマ曲が3年以上もヒットチャート第1位を更新し続けた。
この映画でジェームス・ディーンの相手役として出演していた女優のジュリア・ハリスは、当時中学生だった筆者の憧れの的だった。この年ジェームス・ディーン(1931年生まれ)は若くして自動車事故で死んだが、1925年生まれのジュリア・ハリスの方は88歳で健在。『エデンの東』の映画出演以外にはほとんど日本で知られていないが、主に舞台女優として活躍して、アメリカの演劇界で最も権威あるトニー賞に5回も輝いた名女優なのだ。
この映画のプレミア(初日試写会)に顔を出したのがマリリン・モンローであった。同年にモンロー主演の映画『七年目の浮気』も封切られている。実は、この1955年は、ハリウッド映画の全盛期だったのだ。
『エデンの東』以外にも、主題曲”Love Is A Many Splendored Thing”が大ヒットし、ジェニファー・ジョーンズを大女優にした『慕情』、ウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァク主演の『ピクニック』、バート・ランカスター主演で、ペリー・コモが甘く気だるい声で歌ったスロー・バラードの主題歌が大流行した『バラの刺青』、デヴィッド・リーン監督によるキャサリーン・ヘップバーン主演の『旅情』、フランク・シナトラ主演の『黄金の腕』等々の名画が制作・上演された。ミュージカル映画の大作『オクラホマ』もこの年の上映だ。
丁度このころ、思春期を迎えていた筆者は、蒐集していたハリウッド女優の白黒ブロマイドを母親に見つかり大目玉を食った。中でも総天然色映画の花形美人の誉れが高く、濡れた赤い唇で男性を悩殺したヴァージニア・メイヨのそれは、白黒写真であったにも関わらず「おませ」な筆者の大切な宝物だった。
日本では、第一次高度経済成長といわれる神武景気(1955年~1957年)を迎え、三橋美智也の『女船頭歌』、『あの娘が泣いてる波止場』が大流行した。菅原都々子の『月がとっても青いから』は、当時その独特の声質をまねてよく鼻声で歌ったものだ。
そして、今でもカラオケで歌うのがエト邦枝の『カスバの女』や、鶴田浩二の『赤と黒のブルース』である。
映画や音楽に直接の関係はないが、日本のIT業界の2人の巨人、ソフトバンク創業者の孫正義は2歳若い1957年生まれ、楽天の三木谷浩史社長は、10年後輩の1965年生まれだが、太平洋の向こうではアップル・コンピュータの創業者で元社長の故スティーブ・ジョブズと、マイクロソフトの創業者で会長のビル・ゲイツの2人が、奇しくも1955年に生まれている。
この年の出来事を数え上げると限がなさそうだ。
(2013.07.03)