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エッセイ・コラム

おいしい讃岐の「うどん」

大平 忠

 野瀬さんの「讃岐の『うどん』」を拝読して、おいしい讃岐うどんを求めて高松、丸亀、そして琴平までも歩かれた野瀬さんに、讃岐生まれの私といたしましては、まことに頭が下がり、申し訳ない思いで一杯になりました。かくいう私も、日頃はスーパーで買い求めた冷凍の「さぬきうどん」を、野瀬さんと同じく自分であっというまに料理(?)して食べては満足しています。他人にも「冷凍のさぬきうどん」はうまいと宣伝するぐらいです。東京ではそれでいいと思っています。
 しかし、本場の讃岐で野瀬さんががっかりするようなことがなぜ起こるのか。我が故郷の名誉のためにも、一言弁解させていただきましょう。

 うどんが一番うまく食べられるタイミングはどこか。これはやはり茹でたてに限ります。ところが、商売をしている「うどんや」では、大量に茹でたうどんを一度水で締めてから、すのこの上に置いておき、お客さんの注文があると、冷えたうどんをもう一回熱湯に通すか極く短時間湯がくかして、お客に出します。その結果、うどんが持つ本来のうまさとか香りが相当程度失われているのが普通です。
 そこで、本当にうどんの好きな人はどうしているのかというと、「釜揚げうどん」を注文するのです。しっかりした店ですと、「お時間がかかりますが、いいですか」と聞かれます。お客の注文を聞いてから茹でて、茹であがるや小さい樽のような釜揚げ用の容器に入れてアツアツが出てきます。これは間違いなくうまいです。時間と手間がかかりますから、料金も高いのが通例です。ですから、店に入ったら、メニューに釜揚げがあるかどうか、店の人が何も言わなかったらこちらから聞く。早くできると言ったら、これは疑った方がよさそうですね。もう一つ、麺を自分で作っているか仕入れてくるかで、これはもう大違いですから話になりません。
 小学校2,3年の頃、香川県の田舎では親戚の家に行くと、「よう来た」と言ってそれから小麦粉をこね始め、こねたうどん玉をゴザに挟んで踏まされたものです。それを包丁で切り、すぐ湯がいて食べるわけですから、いや、うまいのは当然です。
 いまや、香川県産の小麦も少なくなり、オーストラリア産が多くなっているとか。自宅でうどんを作る家も、ひょっとしたらもう数少ないかもしれません。
 讃岐でも、本当にうまい讃岐うどんの味を知らない連中が多くなったのでしょう。くたくた茹での店は、そもそも「うどんや」の資格がありません。
 野瀬さん、たいへん失礼いたしました。今度はどうか「釜揚げうどん」を是非試してみて下さい。

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