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エッセイ・コラム

続 1955年

大平 忠

 「讃岐うどん」に続きまして、今度は「映画」の話を、前に書かれた筆者の方にいずれも触発されまして書く次第です。

 ジュリア・ハリスとは、なんて懐かしい名前でしょう。1955年の暮だったと思います。冬休み前の試験が終わるや、友人と一緒に『エデンの東』を観に行きました。観終わって、ジュリア・ハリスは、チャップリンの『ライムライト』に出たクレア・ブルームを優しくした感じだと、その友人に話したことを覚えています。ちょっぴり古めかしいような品の良さがありました。数日して、冬休みに明日から入ろうという日の放課後遅く、校庭にときならぬ大きな音が鳴り響き、それは『エデンの東』のテーマ曲でした。放送部の誰かが人影が見えないのをいいことに流したのでしょう。彼も観に行ったに違いありません。

 1955年といえば、私は高校2年生、受験勉強はまだ先のこと。一番いい頃でした。幸い、2週に1度、土曜日が休みで、この日は映画を観に行く日と決めていました。『慕情』『ピクニック』『旅情』……観ました、観ました。『ピクニック』については、これもある友人と、キム・ノヴァクとスーザン・ストラスバーグ、どっちが好きかという話になりました。友人はスーザン・ストラスバーグだと言い、それなら現実世界でも喧嘩にならないなと顔を見合わせたりしました。その友人は恋をしたのかしないのか、早くに亡くなってしまいましたが。

 キム・ノヴァクはほんとにきれいでした。1956年早々に観た『黄金の腕』でフランク・シナトラとも共演していましたっけ。麻薬中毒患者をシナトラが熱演し、パンチの利いた音楽と共に強烈な印象を残しました。それ以後も、キム・ノヴァクの映画は、ほとんど観たのではないでしょうか。『めまい』の二役は、特にきれいだったように思います。

 ヴァージニア・メイヨの名前が出てきたのには驚きました。ちょっと鉄火で脚線美。ダニー・ケイとの名コンビが何本もありました。『虹を掴む男』は傑作中の傑作、今でも観たいです。西部劇『死の谷』は、代表作で残ることでしょう。

 そういえば、ミュージカルも全盛期でした。ジーン・ケリーの『巴里のアメリカ人』『雨に唄えば』『わが心に君深く』『魅惑の巴里』……。
 高校は3年になっても、土曜日は家を抜けだすことが続き、成績は低迷、翌年は当然のように受験を失敗したのでした。考えてみると、子どもたちには、こんな話は一度もしていないことに気がつきました。ここだけの話です。

(平成25年7月9日)

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