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エッセイ・コラム

防人の歌――時代を超えて

大平 忠

 八月十五日が近づいてきた。『万葉集』の中の「防人の歌」と、『昭和万葉集』巻六を、机の上に置いて毎日少しずつ読んでいる。
『万葉集』は七世紀から八世紀にかけて編まれ、その中の「防人の歌」は、大伴家持が編纂して八十四首ある。
『昭和万葉集』は、昭和五十五年に刊行され、全二十巻に五万首が納められている。巻六は、昭和十六年から二十年までに詠まれた歌を集めて「太平洋戦争の記録」と題され、一般応募の歌から当代の歌人が詠んだ歌まで、掲載されている歌の数は約二千数百首にのぼる。二つの歌集を読むと、相似た歌が多いことに驚く。目についたものを抜き出してみた。

〈父母との別れ〉

父母が頭掻き撫で幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる

丈部稲麻呂

われをもとめ旗ふらす父母の固き顔速度ましゆく車窓より見き

福永竜一

父母は子どもの無事をひたすら祈る。征く子はそれが胸に沁みてなおさら胸が痛むのであろう。

〈子との別れ〉

防人に立ちし朝開の金戸出にたばなれ惜しみ泣きし子らはも

(不明)

あかときに吾子の寝顔をしみじみと眺めて今はいで征かむとす

村石波之助

父がいないことに気付いたとき、どんなに淋しい思いをしていることか。子を案ずる父親の気持は、いつの世も不変である。

〈妻の涙〉

葦垣の隈所(くまと)に立ちて我妹子が袖もしほほに泣きしそ思はゆ

刑部直千國

いまさらに言ふ事なしと思へども今宵のみ厨に長き妻かも

近藤芳美

武装せる吾を笑みつつ見まもれる妻の眼うるみぬ発車のベルに

中村吉宏

別れのときの妻の涙を思い出すときほど辛いものはない。いずれも愛しさがにじむというより噴き出ている歌である。

〈妻の顔〉

我が妻も絵に描きとらむ暇もか旅行く我は見つつ想はむ

長下部、物部古麿

妻の写真持ちて行かむをためらへり奉公袋ととのへ終へし夜半

近藤芳美

兵士たちが懐にしのばせていった写真は、それぞれにどういう運命をたどったのだろうか、想像したくない衝動に駆られる。

〈子を思う〉

旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽ぐくめ天の鶴群

遣唐使の母

短刀を夫はあたへぬ母吾は千人針を吾子に持たしむ

黒河内ちごも

母親として、子どものために何もしてやることができない。母なればこその無力感の大きさに胸を突かれる。

〈夫を思う〉

葦辺行く雁の翼を見るごとに君が帯ばしし投矢し思ほゆ

防人の妻

きみが手に成りし高菜は採り惜しみ五月の畑に花咲かせたり

石川まき子

ふとしたことで思い出すのは、夫のいつもしていた動作やしぐさである。妻はそのたびに手を休めて、夫へと思いを馳せるのであろうか。

〈妻を思う〉

我が妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見へてよに忘られず

若倭部身麻呂

みやこの妹がおもかげあかねさすあさけの雲に思ほゆるかも

蓮田善明

何を見ても思い出される妻のおもかげ。別離は思慕の念を一層濃厚にするのであろう。

〈故郷を思う〉

海原に霞たなびき鶴が音の悲しき宵は国辺し思ほゆ

大伴家持

大海原はたてになびきゐる雲の夕づくいろは国を恋はしむ

蓮田善明

後者の歌は、大伴家持の歌を踏まえて詠んだものか。南アジアのみはるかす太平洋に浮かぶ島の夕焼けも、故郷の海で見た夕焼けの色も、同じに見えたに違いない。

 人が人を思う気持は、千二百年の年月を隔てても、変わりない。
 出征する者、それを送る者の別離の心情を詠んだ歌、遠い異国・異郷にある夫を案じる妻の歌、あるいは、戦地にあってはるかに故郷の妻子を思う気持は、両者を取り違えても、まったく同じである。
 阿川弘之は、戦地に赴くに際して『万葉集』一冊を嚢中に入れ、戦地で読みつつ、広島の両親の気持を推し量ったという。
 戦争は、ささやかな家族の幸せを奪う。声高な不戦の叫びもさることながら、歌に込められている凝縮された悲しみに接すると、平和への願いが痛いように湧き上がってくる。我々の子孫には「防人の歌」を歌わせてはいけないと、ひたすら祈るばかりである。

(平成二十五年八月十日)

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