『飯』家の人々(第三話)
順調に家業を営む忠太郎は長子の義寿を中学の途中より京都へ遊学に出す。義寿は同志社の英文科から神学科へと進む。大正デモクラシー華やかな時代で、学内ではエラン・ヴィタールと称する文芸演劇グループが若い男女を惹きつけていた。
彼らはベルグソン著「創造の進化」のエラン・ヴィタール(フランス語で「生命の躍動」の意)こそ、文芸活動の根源と考えた。理性的な科学や進化論に対し、人間の直観的な内在力こそ真理を把握し、進歩を促すという思想である。
義寿もその仲間に入るが、皆、年上で錚々たる連中に見えた。その中に際立った歌唱力で、つねに演劇のヒロインとなる福原季野(すえの) がいた。彼女に一目惚れした義寿は果敢にプロポーズする。
驚いたのは彼女である。五歳も自分より若い新入りの男である。
彼女は尼崎に生れ、上野音楽学校で三浦環のもとで将来を嘱望された。しかし、病気で中退し、その後に同志社出身の福原と結婚し、このグループに入っていた。ところが若くして夫を亡くし、未亡人の身であった。
その事情を話し、断り続けるが、彼の執拗な攻勢についに絆される。
義寿は父の忠太郎に対しても手紙で説得にかかる。しかし「舞台女優など、とんでもない」とにべもない返事。彼女をつれて今治に帰り、嫌がる父に面会させる。
固い顔の忠太郎は訊ねる。
「生まれは何処か」、「はい、尼崎でございます」。
「父上の名は」、「山口正則と申します」。
忠太郎は絶句、うつ伏せ、嗚咽して祈り出す。
勘当中の自分を尼崎で寄食させてくれた恩人ではないか。
そのうえ、既に大勢の子持ちであった正則に、「『すえの』と名付けては」と助言したことを思い出す。
「そうじゃったんか、あんたがあの時生まれた女の子じゃったんか…」
家族が唖然と見守る中、さらに畳に手をついて祈り続ける。
「三十年前に神様がまだ生れる前の私の息子のために、この女の子を嫁さんとして用意して下さったとは、…」
義寿は家業を引継ぎ、季野は今治教会の敬虔なオルガニストとして、「ママ(飯)さん」と周囲から慕われ、三浦綾子著「ちいろば先生物語」にも登場する。二人は三男一女に恵まれた。長子は霊南坂教会で三十年近く牧師を勤めた飯清牧師、末子の飯忠悟氏がW夫人の父上である。
(本文はW夫人の話と飯清牧師の自叙伝に基づき、若干の推察を加え認めた。)