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エッセイ・コラム

男の日傘、女の日傘

志村 良知

 猛暑の夏、男の日傘が話題になっている。
 マスコミは新しい流行のように伝えるが、昔は男も真夏の外出には蝙蝠傘を携えたようだ。
「四万六千日、お暑い盛りでございます」黒門町・八代目桂文楽の明るい声が一瞬で江戸の名残が残る油照りの大川べりにいざなう落語『船徳』、船好きの連れに誘われて徳さんの操る舟に無理やり乗せられる男は、舟の上で福引で当たった蝙蝠傘を差している。その傘は石垣際からの脱出で竹竿代わりに使われ、石垣の間に挟まって残されるという憂き目にあうが、この蝙蝠傘は男の意識内では日傘以外の何物でもない。
 漱石の小説の男たちも、夏の日中にはごく自然に蝙蝠傘を差して出歩く。

 1956年の第三次マナスル登山隊を率いた槇有恒は、ヒマラヤで日除けに蝙蝠傘を差していた。それを伝える写真を見て父は「おじいちゃんが藪の湯に行くような恰好だな」と評した。祖父の夏の外出には黒繻子張で竹の柄が付いた大きな蝙蝠傘が付きものであった。それは別に夕立の用心というのでは無く、すぐ近所への用足しでもその傘を差して出かけた。
 祖父は、毎年夏の終わりに甲斐駒ケ岳の麓にある胃腸に効くという藪の湯の鉱泉宿に10日ほど湯治行くのが習慣だった。藪の湯は交通の便の悪い所である。登山帽を被り蝙蝠傘を差し脚絆を巻いて、自炊用に米味噌その他が入った大きなリュックを背負い、各自の荷物を下げたり、背負ったりの祖母と孫たちを引き連れてずいぶん長い距離を歩いた。ヒマラヤの槇隊長はその姿そっくりであった。

 今話題の男の日傘は、そうした蝙蝠傘ではなく、最初から日傘としてデザインされた折り畳みもできるものらしい。大の男ならそんな軟弱なものより黒繻子張で竹の柄が付いた蝙蝠傘が似合う貫禄をつけたいものである。

 ヨーロッパに赴任中の夏のヴァカンス、連れ合いはどこの観光地でも日傘を差した。マネの名画にあるので、ヨーロッパでも日傘は一般的であろうと思っていたが、20年ほど前のヨーロッパでは長いヴァカンスを過ごした証拠として徹底的に日に焼けるのがステータスで、日傘はかなり奇異の目で見られた。
 チロルで最も美しいという、花に溢れたアルプバッハ村では、一眼レフを下げた写真愛好の一行に日傘を差した姿でモデルになってくれと頼まれ、日傘女撮影会になる一コマもあった。

 女性の日傘ではくれぐれも注意願いたい事がある。差している日傘の骨の先端は、だいたい自分の目より15センチ位高い位置に来る。これは男女の身長差から男の目の高さとなるので非常に怖い。怖いだけでなく事故例もあるという。日傘と雨傘の違いをわきまえ、人混みでは日傘は畳むという男への思いやりを持って頂きたい。

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