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エッセイ・コラム

祖谷渓を巡る

野瀬 隆平

 万緑の山や深い谷が陽を浴びて輝いている。左右に展開する景観を車窓から飽きずに眺めているうちに、汽車は大歩危の駅に到着した。予め電話でお願いしていたタクシーの運転手さんが出迎えてくれる。
 旅に先立って調べたところ、この祖谷渓を巡るにはバスでは本数が少なくて限られた時間内には効率よく廻れない。レンタカーも考えたが、前に四万十を廻った時に、四国の道路の狭さに苦労したので、今回は奮発してタクシーを利用することにしたのだ。これは正解だった。駅を出発した車が祖谷渓に入ると、道幅は狭くなり対向車が来たらすれ違うのも難しいほどだ。道路脇まで崖が迫っており、なれない車を運転しながらでは、とても景色を眺める余裕などない。
 四国の山がこんなにも深く険しいものとは想像していなかった。タクシーの中から覗くと、下は目もくらむような深い谷で、谷底の渓流も細い流れにしか見えない。
 およそ5時間の貸切とした運転手とも打ち解け始めたところで、運転手が話しかけてきた。
「先月、大阪からグループで来たおばちゃんがですよ、この辺りの風景を見て『何もあらへんとこやなー』と半分がっかりしたように漏らしてました。当たり前ですよ。何を期待して来たのでしょうかね……」

 確かに、辺りを見回してもお土産屋の一軒もない。見渡す限り人工物が一切ない、緑また緑の自然が広がっているだけである。
 途中何か所で、写真撮影のため車を止めもらう。他の車が来ないかと気を遣いながら、さっとカメラを構え早めに切り上げて車に戻る。最初にじっくり見られる場所として案内されたのは、「小便小僧」が居る所である。観光名所の一つとなっている。よく知られている例の像は、オリジナルのブリュッセルの他に、浜松町の駅に置かれているもの以外では初めてである。いつごろ置かれたのか知らないが、地図にも載っているので、かなり前から観光客を意識して作られたのだろう。ファインダー越しに見た小僧の顔は、実に爽快そうに見えた。何しろ深い、深い谷底に向かって解放するのだから。もっとも、先っちょから水は流れ出ていなかったけれど……。

 祖谷渓を巡るにあたって、でどうしても訪れたいところが一つあった。「落合集落」だ。急な山の斜面に、民家が張り付くように点在する村で、平家の落人が住みついたという伝説のある地区だ。先ずは、村落が一望できる向かい側の山へと、タクシーは細い道を昇りはじめる。展望がきく場所で車を止めてもらい、村落全体をあるいはこれぞという風景を切り取って、写真を何枚も撮る。よく観察すると、昔ながらの「かやぶきの屋根」の家は数軒しかない。近年その数がどんどん数が減ってきていると言う。
 代々西祖谷に住んでいるタクシーの運転手さんも、昨年、かやぶきの屋根だった自分の家を改装して、瓦に葺き替えたとの事。周りの人たちから、「もったいないことをしましたね。かやぶき屋根を残しておいてほしかった」と言われたそうである。しかし、他の人が周りで見ている分にはよいけれど、実際にかやの屋根を葺き替えるとなると大変で、およそ一千万円はかかるという。個人で負担するには大きすぎる額だ。何よりも、昔の様な「萱場」もなくなり、材料の調達がままならない。仮にあったとしても、人出が足りない。かつてのような村人が助けあうと言う風習もなくなっている。ボランティアが手助けしてくれると言っても、食事の費用や、完成時のお祝いの宴会の出費などを考えると、相当な費用を覚悟しなければならないと言う。確かに、日本の原風景ともいえる、かやぶき屋根の家が建ちならぶ里山の景観を残したいと誰もが思うが、容易なことではないようだ。
 棚田も同じだ。日本の原風景を求めて写真撮影の旅に出る者にとって、棚田は格好の被写体であるが、維持管理するのは大変らしい。区画ごとに分割して、都会の人たちに参画してもらうオーナー制があると聞くが、現実はそう簡単ではなさそうだ。

 長い道中、タクシーの運転手さんは、だんだん饒舌になり、話は色々な方面に発展する。
「役所の人や政治家は勝手なことをいうが、実際に住んでいる人のことを親身になって考えていない」、
 という地域の景観保全の話題から、自然と政治の話へとなる。
「今の政治は全くなっちゃいない。政治家は自分の利益のことしか考えていない」、とかなり強烈に批判する。
「それなら、あなた自身が政治の世界に入って改革したら」と茶々を入れると、
「いやー、いざ自分がなったら、それまでの主張を覆し、やはり自分の利益になることしかやらないだろうな…」、で大笑い。
 祖谷渓の自然にほれ込み、古民家を買い取って民宿を始めたアメリカ人がいるが、彼に対する地元の人やそこで働く人の率直な評判など、ご当地ならでは聞けないことを語ってくれる。長時間のドライブも、客を退屈させない。

 落合集落から、さらに東の奥祖谷と呼ばれる地区へと車は細い道を行く。目指すのは「奥祖谷二重かずら橋」である。
 西祖谷に架けられている「かずら橋」は辺りも開けており、大型の観光バスが乗り入れて大勢の観光客でにぎわっているが、さすがに、奥にある二重かずら橋まで来る人は少なく、辺りは静かだ。タクシーの運転手さんに待ってもらい、橋の架かっている渓谷へと階段を下りる。
 剣山を源とする祖谷川の清流に架かる二つのかずら橋。平家の落人が源氏の追っ手から逃れるために、いつでも切り落とせるように造ったと言われている。上流に「女橋」下流側に「男橋」の二つの橋が架かっていることから、二重橋と呼ばれている。先ずは、大きい方の男橋から渡ってみる。想像していたよりも、渡されている板と板の間が広い。足が落ちる程ではないのだけれど、足が隙間から抜け落ちる、そんな錯覚に襲われて、一歩一歩と慎重に足を出す。
 やっと渡りきって、さらに鉄製の急な階段を下りると、爽やかな音を立てて流れる川底に達する。手を流れに浸けると、心地よい冷たさが伝わってくる。対岸を少し上流に進むと女橋の渡り口に着く。同じように慎重に渡りはじめる。途中で、今渡ってきた男橋が望める所にくる。不安定な体を何とかロープに押し付けて支えながら、写真を撮る。

 折角、二重橋に来たのだから、二つの橋が写り込む場所からどうしても写真を撮りたい。再び河原に降りて何枚か撮影するが、あまり満足できる構図ではない。もう少し高い位置から狙いたい。それにうってつけの場所があるのに気が付いた。二つの橋の少し上流に、谷を渡る特別の仕掛けがあるのだ。二本の綱が架けられていて、それに4人ほど乗れる木製の台が吊り下げられていた。乗った人が綱を手で引っ張って、台車を動かして対岸にたどり着くというものである。中国の山奥で、これの大掛かりなものを利用している人たちの映像をテレビで見たことがあるが、何と呼ぶものか知らなかった。案内書には、「野猿」と書いてある。多分、野生の猿が谷に架かる自然の蔓にぶら下がって、移動したことからつけられた名前であろう。
 これに乗ってみることにした。狭い台車に乗り込んで、綱を引き始める。年老いた夫婦二人がおっかなびっくりロープを手繰り寄せながら、谷を渡る姿を頭に描いて想像すると、我ながら可笑しくなってきた。
「いや、なに…これに乗りたいからではなく、二つの橋を一つの写真に収めたくて、仕方なしに乗ったまでだよ」、とおかしな言い訳を心の中でしていた。

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