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エッセイ・コラム

私の少年時代と大東亜戦争(二) マレー沖海戦

阿部 典文

 真珠湾奇襲攻撃による緒戦の華々しい戦果の興奮がまだ冷め遣らぬ十二月十一日の新聞は、再び「英東洋艦隊主力全滅す」との見出しで英国の誇る戦艦「プリンス・オブ・ウエールズ」の爆沈と、巡洋戦艦「レパルス」の轟沈を報じた。

 この両艦は、英国の東洋植民地の保全と、日本軍のマレー半島上陸を阻止する目的でシンガポールに派遣され、戦争の勃発を受けて直ちに南シナ海に出撃したところを、ヴェトナム南部の基地を飛び立った日本海軍の航空機部隊八五機により、マレー半島クワンタン沖で葬り去られてしまった。

 特に「プリンス・オブ・ウエールズ」は完成後数ヶ月の、英国の建艦技術を結集した最新鋭の軍艦であり、「航空機のみにより瞬時に撃沈されたことは世界の海戦史家を唖然驚嘆させた快挙」と報道された。
 その教訓 「洋上で航行する戦艦といえども航空機による攻撃には勝てない」は、海戦の主役が航空機(航空母艦を含む)に移行し、日本海海戦以来続いてきた大艦巨砲主義が終焉を告げた象徴的な出来事であった。

 しかし皮肉にもその頃大艦巨砲主義の精華と見られた日本海軍のエース、戦艦「大和」が戦列に加わり、三年後に「大和」も同様の運命を辿ったことは歴史が示すアイロニーであったのだろうか。

 しかし私にとっては、「滅びたりほろびたり敵英東洋艦隊は・・・」で始まる軍歌と、海戦の模様を伝える映画「マレー沖海戦」は、大東亜戦争の中の忘れえぬ思い出の一つとなっている。

 この映画に触発され、私は海戦の模様を絵に描き、また厚紙を船の平面断面形状毎に切断してピラミッドのように積み重ねて成型する所謂水線上模型を作り、机上での海戦ごっこに熱中し、軍国少年らしく勝利の満足感を味わっていた。

 その後三十数年を経て、縁ありシンガポール勤務を命じられ、大東亜戦争の戦跡としてクワンタンを訪問する機会に恵まれたが、海は平穏で何も語らず、ただ弾痕を留めたトーチカの残骸だけが当時を忍ばせてくれていた。

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