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エッセイ・コラム

遷宮とは何か、神々からのメッセージ

森田 晃司

 旧暦十月十日(新暦11月12日)の神迎え行事を数日後に控えているとは思えないほどの暖かい好天に恵まれた朝、5月の大遷宮から半年たった出雲大社を訪ねました。一時はシャッター街の様相を呈していた参道は朝から大勢の観光客で賑わっています。拝殿の前の記念撮影スポットは幾組かの団体が順番待ちをしている盛況ぶりです。本殿の大屋根の真新しい檜皮(ひわだ)が朝陽に美しく映えています。
 250万人前後だった参拝客は昨年350万人まで急増、今年は500万人に迫る勢いです。地元の大社町を始めとして周辺地域の旅館は満室が続き遷宮景気に潤っています。
 今年は伊勢と出雲の二大社の遷宮が重なりブームとなりました。二十年毎に場所を移して本殿から作り直す伊勢や六十年毎に屋根の大修造などを行う出雲など形式はさまざまですが、遷宮を続けている神社は全国各地に多数あります。社殿のみならず、装束、調度、神宝、供え物など諸々を清らかにつくり改める大変な作業です。壮大な無駄とも思える遷宮はなぜ行われるのでしょうか。

 神無月に出雲に参集された八百万神が全国各地にお帰りになる前に立ち寄られ、神等去出祭(からさでまつり)を行う場所が斐伊川沿いにある万九千神社(まんくせん)です。
 その神社の錦田宮司は遷宮について、「はるかいにしえに神様がご鎮座されたあの日、あの時、あの場所の起源、原初、原点に回帰することでご神威は若返り、蘇り、一層高まってはつらつとした生命の息吹がもたらされる・・・・」。また「・・・一人の人間の生命力には限界があります。しかし、御遷宮によって、世代を超えて継承すべき信仰、文化、資源、技術といった大切な何物かを次世代へと引き継ぐことが可能となります。」と述べておられます。
 出雲大社の大屋根の修造は五年の歳月をかけて行われました。屋根に載った10メートル近い大木の千木(ちぎ)や勝男木(かつおぎ)の交換や64万枚にも及ぶ檜皮の葺き替えなどさまざまな作業を行います。一つ一つの作業に伝統の匠の技が必要となります。例えば檜皮の葺き替えには、まず檜皮を採種する原皮師と呼ばれる職人が居なくてはなりません。葺き替えの職人も必要です。また、檜皮に打ち込む専用の竹釘を作る技も必要となります。六十年後の遷宮に向けて出雲大社もこうしたさまざまな分野の伝統技能の保存に無関心ではおれない筈です。売り手と買い手と立場は違っても互いの信頼関係と助け合いの強い絆があることが推定されます。出雲大社の氏子もヒノキの植林を始めているそうです。
 自由競争を金科玉条のごとくに奉る昨今の風潮は、公共工事などは入札が当たり前で、売り手と買い手のなれ合いを禁じることに躍起となっていますが、そんな無機質な社会にしてよいものか、疑念を禁じ得ません。
 錦田宮司は、さらに「御遷宮は連続する命の大切さや永遠とは何かを深く思考する機会を私たちに与えてくれます。御遷宮にはこうした持続可能な社会や文化を問う高い精神性が満ち溢れているのです。・・・・」とも述べておられます。得体のしれないグローバル価値観に押し流されそうな昨今ですが、継続を重んじてきた日本文化の特質を今一度見つめ直す必要がありそうです。

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