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エッセイ・コラム

全治一カ月

志村 良知

 玄関に家人が帰って来た気配がするが、なかなか中に入って来ない。ようやく現れたら足を引きずってよれよれである。前日お気に入りの店で鰻を食べたばかりなので「なんだ、もう鰻の効き目が切れたのか」とからかうと、「怪我したのよ」と言う返事。
「どこで?」「この部屋で」「?」。
「意味判らない」と起承転結を話させる。
 事故は私が外出中の約2時間前に起きたらしい。歩いて5分ほどのところにあるスポーツジムに予約してあるバタフライ教室のため、開け放しの窓を閉めて出かけようと部屋を横切っていて椅子に蹴躓いたのだという。
 その木製椅子は、大型本などの置き場になっていて重く、躓いた位では全く動かないので被害は大きい。しかし、同じ場所に3年も前から置いてあるのだから躓く方が悪い。激痛の中でも頭からはバタフライのことが離れず、教室に予定通り出てきたという。
 見ると、右足の真ん中の指三本辺りが変色し腫れている。「痛みは全然軽減しない、むしろ増している」と訴える。同情はするものの「バタフライかよ」と思う。
 何にせよ医者に見せた方が良い。整形外科医院はさっきまでいたスポーツジムの隣であるが「車を出せ」という。「バタフライ教室帰りだろう」と思うが不毛な議論は避け、車で送って行く。煩瑣な立体駐車場の出し入れ操作を終え、やれやれと部屋に戻るとすぐ電話がきた。「診断は、右足第3趾基節骨骨折全治一カ月。ギプスはせず、指三本まとめてのテーピングのみ」。骨折なら仕方がない。また車を出す。
 帰宅するや、最近は講師もあるという太極拳教室の日程調整、仏語同好会の調整、鎌倉散策会不参加連絡、選りによっての足裏マッサージのキャンセル、といつ果てるともしれない電話。夕食は勿論コンビニ弁当になる。

 何年か前、右手の腱鞘炎になった時の家事一般への被害は甚大であったが、今回はともかくも歩けるので、家事への影響はそれほどでもない。
 しかし、私が家にいるときは必ずその辺におり、外出にはすぐ近所でも車を運転してのエスコート、という逆濡れ落ち葉状態が続く。早く全治して勝手に出歩いてくれるのを願うの情甚だ切なりである。

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