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エッセイ・コラム

無形文化遺産に託す

内藤 真理子

 二世代で住む我家では、おせち料理の役割分担が決まっていた。
 姑が和風、嫁の私は洋風である。
 お正月ともなると、夫の兄妹三人とそれぞれの一家が集まるので、総勢十四人、その他にふいのお客もやってくる。

 師走とはよく言ったもので、十二月に入ると毎年〝一日が二十四時間では足りない″と悲鳴をあげる。
 街は活気づいている。私の腰は浮いている。新聞のチラシに心がおどる。大掃除ですらうかれて身体が軽い。
 冷凍してもあまり味の変わらない肉類は、時間を見つけてせっせと作る。

 暮も押し詰まる頃、姑が人参、牛蒡、大根、さつま芋、と栗を置いてゆく。「あれっ?和風はお母さまが作るのでは…?」
 とは思うものの、口には出さず、三十日は、午前中、ただひたすら人参、大根、牛蒡を千切にする。きんぴら牛蒡と、なますのできあがり。
 さつま芋をゆでて裏ごしにする。栗と混ぜると栗きんとんも一丁上がり。
 そうそう、お正月の一番人気、鶏肉ダンゴを作らなければ。
 鶏のひき肉にウズラの卵をいれて丸めて油で揚げる。それに甘辛ソースをからめる。
 五十個作っても十個はパンクする。それを子供がつまみ食い。

 姑は年季が入っていて要領がいい。買い物は早く済ませて二十九日、三十日は料理の日と決めているようだ。朝から晩まで台所に入り、わき目もふらずに大量の煮つけを作る。豆を煮る。田作りを作る。

 大晦日はたいへんだ。朝早くからすす払い。箒の穂に手ぬぐいを巻いて天井や鴨居のすすを払う。家の外壁は新品の竹箒が大活躍。
 それが済むと準備完了。姑はもうテコでも動かない。
 私は夕方から大安売りの垂れ幕めがけて走る。総勢十四人、泊っていく家族もあり、いくらあっても足りないような気がしてひたすら買いあさる。

 年越しの夕飯は天ざると決めている。天ぷらを揚げてざる蕎麦に添える〝やっぱりビールがなくっちゃ″と一杯お相伴。
 そうだ、作った物をお重につめて、お皿に盛って、お雑煮の出汁もとらなければ……
 いつしか紅白も終り、近所の寺院の除夜の鐘が聞こえる。
 今年も間に合わなかった。お風呂に入り風呂掃除が終わる頃には家中が寝静まっている。あらためて、私だけの年越し。
「行く年にフムフム、来る年に今年もよろしく」

 和食が、無形文化遺産になるだろうと、取りざたされているが、これは、二十五年くらい前、まだ両親が健在だった頃を書いた師走の風景である。あの頃だったら、無形文化遺産の背景にふさわしかったのに…と思う。
 その文化を支えた、一世代前の親達は他界し、本来なら、受け継がなくてはならない私なのに、デパートでおせちを買い、デパートは不正表示をし…と、思えば何もかもが〝情けない!″
 誠実で勤勉な日本人の食文化を、次の世代に伝えていくのに、無形文化遺産は、強い味方になってくれると期待したい。

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