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エッセイ・コラム

トイレの話

西川 武彦

 筆者が勤めた航空会社が中国へ乗り入れる前後、北京に度々出張する時代があった。ある時、日本への帰り便を待機していたスチュワデス数名と、万里の長城に出かけた。支店が用意してくれた車に乗り合わせてのツアーである。道路事情が悪く、片道三時間近くかかっただろうか。
 支店から貰っていたアドヴァイスで、途中でトイレ休憩した。荒野を走る道路際に建つ頼りない石造りの建物だったと記憶する。
 男女共用のオープンスペースに円い穴が並ぶ。ドアはない。美女たちが用を足す間、筆者は門番となり、それとなく想像しながら、見張っていた。
 見物を終えて長城を去る前に利用したトイレは凄かった。男女別にはなっていた。入るとドアがない超汚いトイレに中国人男性がずらりと並びしゃがんで唸っているではないか。新聞を広げている男もいた。
 中国が高度成長した今では、高速道路をわが国と同じようなトイレ付き高速バスで観光する時代になっているのかもしれないが、得難い体験ではあった。途上国では似たような体験がいくつもあり、今でも偶に、汚いトイレで苦労する夢を見るから可笑しい。

 高速道路のトイレといえば、筆者がマイカーで都心から小淵沢と行き来する中央道の話をご披露したい。暫く前、早朝家を出て、高速に乗り、一時間余り飛ばして、釈迦堂でトイレ休憩した。小だけでなく大も催した。
 空いていたのは、一番端だけ。チラッと覗くと、身障者向けの造りで、とにかく広い。便器の脇に手すりもついている。足腰が弱り、便器から腰を上げるときふらつくこともあるから助かる。それでも少しだけ戸惑っていると、掃除のおばさんが「どうぞ」と勧めてくれた。ジャケットを脱ぎ、便器に腰掛けていざという段階で、ロール紙がほとんどないことに気付いた。新しいのが容器に入っていたが、情けないことに取り替え方が分らぬ。
 やむをえず、パンツを上げてドアを開き、おばさんのヘルプを求めた。
 大小の用を足し終えると、今度は、流し方が分からない。取っ手もボタンも見当たらないのだ。再びやむをえず、パンツを上げて、汚物を紙で見えないように図った上で、掃除のおばさんに助けを求めた。
 高速道路の休憩所のトイレは、使う頻度が高いこともあろうが、修理が頻繁に行なわれる。整備はウェルカムだが、問題はその度に超精巧な仕組みで「不便」になることだ。普通で充分なのに。国際レベルでも断トツな高速料金の一部が使われるのだが、超無駄であろう。来年4月に高速料金がまた上がるらしいが、無駄なサービスを止めて、経費を節約してほしい。

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