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エッセイ・コラム

悪の凡庸

平尾 富男

 公開初日から岩波ホールは満席状態が続いていたらしい。上映最終日の昨年12月初旬に入場を待つ人の列に並んだが、朝一番の回の上映は満席で入れず、午後の回にやっと入場が出来た。
 その映画は、『ハンナ・アーレント』。アメリカで活躍したドイツ生まれのユダヤ人哲学者の名前が題名となっている。ドイツの女流監督によって2012年に制作された。
 若き日のハンナは、マールブルク大学在学中に著名な哲学教授ハイデッガーに出会うと哲学に没頭し、その哲学への「のめり込み」を「初めての情事」と後に自伝で称した。実際に、当時既婚者であったハイデッカーと不倫の間柄でもあったのだが。

 第二次世界大戦の後、ナチス・ドイツの戦争犯罪人アドルフ・アイヒマンは、1960年5月に逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの秘密警察に発見され、イスラエルに連行された。その時の白黒の裁判記録映像が映画『ハンナ・アーレント』の中に一部挿入されていた。アイヒマンは数百万人のユダヤ人を強制収容所に移送する指揮を執ったとして、1961年にこの裁判によって有罪判決をくだされて翌1962年に絞首刑に処されてしまう。防弾ガラスで囲まれた被告人席のアイヒマンが、「私は命令されただけでした。殺害するかは命令次第でした」と抗弁する姿があった。
 実際にこの裁判をエルサレムに飛んで傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンを世間で言うような悪の権化ではなく、単に思考停止して組織の命令に黙々と従った凡庸な人間に過ぎないとして、マスコミのアイヒマン断罪に反論した。自らもホロコーストを経験したユダヤ人であるハンナが1963年、アイヒマン裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌に連載すると、その内容がアイヒマン擁護と曲解されて全世界から非難の集中砲火を浴びる。それにもめげず同じ年『エルサレムのアイヒマン ― 悪の陳腐さについての報告』を出版するという強者振りを発揮した。
 ハンナが言いたかったのは「思考放棄による命令の服従は『悪の凡庸』であり、これこそがアイヒマンの、そしてナチス・ドイツの本質的な罪である」ことだった。レポートの中でアンナはユダヤ人指導者もナチに協力した事実を指摘したとして同胞ユダヤ人からも糾弾された。ハンナと同様にハイデッカーの弟子でありハンナの最初の夫でもある哲学者ギュンター・アンデルスは「アイヒマン問題は過去の問題ではない。我々は機構の中で無抵抗かつ無責任に歯車のように機能してしまい、道徳的な力がその機構に対抗できず、誰もがアイヒマンになる可能性がある」と言った。

 現代の日本でもアイヒマンが生まれる危険性を多分に内包していることを、この映画は教えてくれる。「悪の凡庸」、つまり思考停止して、権力者や世の中の流れに無批判で知らず識らずに従ってしまう傾向が今の日本の社会に無いと断言できるであろうか。かつての日本には確実にあったことを思い起こす。

 ところで、アドルフ・アイヒマンはリンツのカイザー・フランツ・ヨーゼフ国立実科学校に在籍したが、偶然とはいえアドルフの名前を持つヒットラーも同じ学校に通っていたことがある。二人とも学業成績が悪く卒業できずに退学しているというのも何かの因縁だろうか。アイヒマン裁判の記録はインターネットのユーチューブで見ることが出来る。

 映画は岩波ホールでの上映は終わってしまったが、年が明けた2014年1月になって、余りの好評に応えて複数の映画館が『ハンナ・アーレント』の上映を開始している。

(2014年1月9日)

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