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エッセイ・コラム

「失望」は誤訳である

森田 晃司

 安倍首相の靖国参拝に関しては日本国内でも賛否両論があります。しかし、国内の議論はともかくとして、これを他国がとやかく言うのは明らかな内政干渉です。中韓などは全く外交儀礼をわきまえない国で、それどころか、「国家の品格」を疑わせるような言動を繰り返しています。中韓を除けばアジア各国は過去に要人が靖国参拝をされた国がほとんどであり、今回も格別の抗議はないと承知しています。そんな中で、在日の米国大使館より「靖国参拝に失望した」との広報が発表されて、多くのメディアは鬼の首でも取ったかのごとくに騒ぎ立て、安倍外交の失態として中韓に歩調を合わせてネガティブキャンペーンを張っています。
「The United States is disappointed.」 と言う広報の“disappointed”が失望と訳されています。確かに辞書には“失望”という訳が載っていますが、私の友人の諸外国語の達人によると失望は誤訳です。友人は末尾に掲げるような“disappointed”の用例を引きながら、むしろ、“残念である”という程度の軽い表現が適訳だと説明しています。
 また、外交上の用例としては“ disappointed”は、“他国のことながら残念だ”、といった程度のニュアンスで、他国のこととして放っておけない場合は“regret”あるいは“concern”を用いて“遺憾”、或いは“懸念”を相手国に申し入れることになります。
 今回の失望事件は、勿論、米国からの外交上の申し入れではなく、単に大使館の広報に過ぎないのですが、破格の大騒ぎになっています。こうした外交に関連する報道に関して、私たちは原文まで当たることは極めて稀です。また、用語の区別も明確には付きにくいのが通常です。この失望報道は、専門家であるべきメディアが外交用語に無知でないとすれば、意図的に行っている世論操作です。昭和20年9月の占領開始と共に米国による厳しい言論統制がおこなわれ、その間に日本のメディアの性格も日本人の価値観も一変しました。7年後に占領は終了したのですが、言論統制の楔は六十年後の今も残っていると言えます。
 こうした偏向報道は国民の力で正して行くべきであると共に、諸外国のコメントにみだりに一喜一憂しない歴史観を教育して行く必要があります。そもそも1985年の中曽根総理参拝から突如として始まった中韓の参拝反対の理論的根拠はA級戦犯が祀られており、戦後の秩序を踏みにじるものだという主張です。ご存じのとおりA級戦犯とは戦勝国が敗戦国の日本を一方的に裁断した東京裁判での判決に基づいています。また、国連では、いわゆる“敵国条項”が残ったままで、日本は安全上極めて不公平な取り扱いを受けかねない懸念があります。“戦後の秩序“を含めた近現代史を日本人自身が見つめ直す必要があると言えます。

以上

参考:“disappointed”の用例
 あなたが大事な試験に落ちてしまったとしよう。これに対して親しい友人が
I am disappointed.
と言うのは、英語では自然だ。
 Disappointmentとは
「こうなればいいなと期待していた通りにいかず、やるせなく思うこと」である。
 I am disappointed. が伝えるメッセージは
「きみが試験に受かればいいと思ってたのに、そうはならなくて残念だ」ということ。

 では日本語の「失望」はどういう意味か。
 あなたが大事な試験に落ちてしまった。これに対して親しい友人が、
「ぼくは失望している」と言ったとしたら、鋭い緊張が走るだろう。

「こいつ、何が言いたいんだ?俺が努力不足だったと責める気か?まさか、これっきりで友だち付き合いは止めにするとでも?」

「失望する」には「期待を裏切られて将来的希望すら失う」という含みがある。批判の色を帯びている。

 もうひとつ、例を挙げよう。
 パーティーで、親しい友人に会えると期待していたら、友人は風邪で休んだので会えない。ここで
I am disappointed.
というのは、英語としては自然だ。

「会えると思っていたのに、そうならなくて残念だ」という、それだけの意味である。
「失望する」はどうか。
 パーティーで、親しい友人に会えると期待していたら、友人は風邪で休んだので会えない。
「ぼくは失望しているよ」
と周囲のひとに語ったとしたら、むしろ反発をまねくだろう。

「は? こいつ、何を大げさなことを言ってるんだ。あのひとは風邪で休んだだけだ。欠席を責めることはないだろ」

 Disappointmentに比べて「失望」は大層な表現なのである。

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