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エッセイ・コラム

「あーあーやんなっちゃった、あーあー驚いた」

西川 武彦

 一昔前、牧伸二だったろうか、予想外の事態に遭遇すると、ウクレレを爪弾きながら、こんな叫び声をあげていたような記憶がある。

 三日前、忘年会と新年会の連荘で重なった疲労が足腰にきたので、行きつけの整体院に足を運んだ。二ヶ月ぶりである。健保が効く。喜寿を迎えた筆者の場合、三割負担とかで、通常四百円だ。七十五歳までは元会社の『特例健保』とやらで一割負担だったから、歳を重ねて肩の荷が重くなったような感じである。それが理由で足腰が痛むのかもしれない。
 四台ある治療台の一つに収まり、仕切りのカーテンを引き、うつぶせで整体師を待つ。二人の若者が最大六人ほどの「患者」を同時並行で「治療」する仕組みだ。指圧が三十分ほど、それが終ると患部にピリピリと電気を当てる。二十分たらずか…。仕上げはハンマー投げのような円くて重い治療器に電気を通して、背中から足にかけてざっと筋肉をほぐす。
 普通の健保利用者ならペットボトル二本分ほどの料金だから安い。
 それはよいのだが、今日は驚いた。真ん中のベッドでうつぶせになり、電気マッサージを受けていると、「お願いします!」という若い明るい声が受付で響いた。二十歳前の男の声音である。彼は筆者の右隣りのカーテンの中に消えた。着替えもせずにいきなりベッドにうつ伏せしたようだ。
 整体師の男性も若い。三十歳前か。いい気持ちでうとうとしていると、とんでもない会話が飛び込んできた。
「今日はどちらの方ですか?」と、整体師。
「昨日と同じで足と腰、むにゃむにゃ……」と、ぞんざいな患者の回答。
「なにか特別なことでもされたのでしょうか?」
「昨日もいったでしょ、受験勉強でむしゃくしゃしたから、そこのローソンで漫画読んでたんだけど、長くたち過ぎて腰と足にきちゃったみたい。超疲れちゃった……」
 それから暫く、その漫画誌のどこが良いの悪いのいうデイスカッションが続いた。実にアホらしい。どうやら浪人生らしい。話しの流れで、明日から二次が始まるとか。その前に整体?こんな阿呆が大学生になるのかと思うと背筋がぞっとしてしまった。
 治療が終って会計すると、「一ヶ月以上ご来院がなかったので、今日は1100円になります」だって……。じっと見つめる目を意識しながら、薄い財布から一枚抜きだす。あの若造が払うのは三百円に違いない。こんな男に健康保険?「あーあーやんなっちゃった、あーあー驚いた!」

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